ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

禅とミニマリズム

禅とミニマリズム

先日のブログに少し書きましたが、禅に興味があります。禅というと宗教的ななにかを連想するのではないでしょうか?そして「なんだか怪しそう」と感じると思います。私自身がそうでした。とりあえず、そういう怪しげなイメージは捨てて考えてみます。

 

私はなぜ禅にひかれるのでしょう?イメージする風景がとてもシンプルで清々しいものだからです。まずは見た目から入ります。なにもない広い和室の真ん中に ポツンと座り、ひたすら心を無にする。そんなイメージです。

 

只管打坐 -ただひらすらに座禅をする-

ひたすらを感じでで書くと、只管と書きます。ひたすら座禅をすることを只管打坐(しかんたざ)というらしいです。では、少し只管打坐について勉強しましょう。只管ひたすら、ただ一筋にひとつのことに専念することです。打坐座ること、座禅をすることです。そこに道具はなにも必要ありません。素晴らしいですね。でも、座布団くらいないと足が痛くなりそうですね。

 

「1分間何も考えない」に挑戦

私は気持ちを落ち着かせ、雑念を取り払うことができれば、それが禅だと勝手に思っています。勝手にそう思っているだけです。雑念を取り払うってすごく難しいです。とりあえず、この記事を読むのを一旦中止して「1分間何も考えない」ということを実践してみて下さい。

 


 

ん?実践してないですね?では、改めて「1分間何も考えない」に挑戦してみましょう。

 


何も考えないってすごく難しくないですか?ついつい余計なことを考えてしまいませんか?その余計なことが雑念だとしたら、禅を極めるのは至難の業なんだと思います。

 

自分なりの座禅法

私が行う禅は足を組んだり、手を合わせたりはしません。フローリングの上に大の字になって寝ます。手も足も思いっきり伸ばします。そして、出来る限り音のない環境をつくります。そのまま目をつぶり、思考停止します。まるでA君のように。

 

 

すると、自分自身を感じることができます。自分って生きてるんだなって感じます。なんだか怪しい雰囲気になってきましたね。でも、これがリラックスできていいんですよ。脳がリセットされる感じです。ぱっと見はただ寝てるようにしか見えませんね。誰も見てないから問題なしです。


禅の考えは日本よりも海外の方が熱いのでしょうか?少し古い記事ですが、紹介しておきます。

 

シリコンヴァレーが、いままた「禅」にハマる理由   « WIRED.jpシリコンヴァレーが、いままた「禅」にハマる理由 « WIRED.jp