ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

今、敢えて卒業アルバムの話をしてみる

卒アル

 

今さら感はありますが、卒業アルバムをどうするか?という話に触れてみたいと思います。どーも、A'sです。卒業アルバムって持ってますか?なるほど、実家を探せばどこかにあるんですね。わたしは残念ながら処分済みなんです。

 

イライラするから捨てました

捨てた理由は、そこにいい思い出なんてないからですね。特に中学時代の先生とか大嫌いでした。今、思い直しても、イライラするくらいに嫌いでしたね。「でしたね。」なんて過去形ではなく、嫌いですね、今でも。

 

 

なので、卒業アルバムなんて開いても、いい思い出なんて蘇ってこないものですから、即捨てですよ。即捨てといいながら、捨てたのは社会人になってからですけどね。

 

もちろん、いい思い出もありますよ。甘酸っぱい思い出とか、澄み切った青空みたいな青春の思い出とか。んーと、抽象的過ぎて、なにが言いたいんだかわからないですね。 

 

やはり捨てられないものなのでしょうか?

話を戻して、えーっと、卒アルの話でしたね。卒アルってやはり一般的にはなかなか捨てられないモノなんでしょうね。母親も小学生時代からの卒アルを一式持っていました。そういえば、父親の卒アルは見たことありません。で、そんな母親の卒アルも捨ててしまいました。そこには、わたしの思い出はなにひとつないですからね。

 

とはいえ、悩みましたよ。何十年も大事にとっておいたモノを捨ててもいいんだろうかって。でも、本人はすでにいないですし、それが必要になる場面なんて、きっとこないはずです。「お母さんの卒業アルバム捨てたけど、なんか文句ある?」って改めて宣言すれば、非難殺到でしょうけど、そんな場面もこないですよ。

 

誰かが処分しないといけないと思うんです

モノって、どこかで誰かが処分しないといけないと思うんです。思い出のモノって時間が経てば経つほど捨てにくくなります。

 

実際、わたしは写真は捨てられずにいます。随分と整理して、いらない写真は捨てましたが、それでもまだ結構な枚数あります。家族の写真とかは自分だけのものではないですからね。手放したくなったときは兄弟に相談してみようと思います。そしたら、多分、兄弟が引き取ってくれるはずです。

 

デジタル化するのもひとつの方法でしょうが、そこまで過去に手間暇かけるなら、あっさり捨てたい派です。

 

思い出として残している品って、部屋の片づけするときくらいしか見ないでしょう?片付けなきゃいけないのに、ついついアルバム広げてしまって、結局、片付けられなかったってパターンになるでしょう?あるある過ぎるくらいのあるあるですね。

 

今回もなにひとつ結論めいたものはありません。

 

ではー。

 

<思い出ってココロの中にあるものなのだよ>