ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

現実に目を背けるか否か

火山

ここ数年、最近は大きな自然災害が目立つようになってきた。僕自身はさいわいなことにそのような被害にあったことはない。

 

少し前に火山の噴火によって避難生活を余儀なくされている方の記事を読んだ。僕は避難生活の経験が一度もないので、その大変さはわからない。きっと想像より遥かに過酷な状況なのだろうと思う。

 

いつ島に帰れるのかと不安だ。毎日、島のことばかり考えている。避難生活はとてもストレスが溜まる。なにもする気が起きなくて、憂鬱な毎日だ。

 

こうなることを想定していなかったのだろう。いざ、その場面に出くわしたときに、その現実に対応しきれない。火山だということはわかっていたから噴火することもあり得る。頭ではわかっていても「まさか」という気持ちが優先する。それは自分の都合のいいように解釈しているだけだ。「まさか近くの山が噴火して、避難生活を送ることになるだなんて」と考えるか「火山だから噴火することもあり得る。万が一に備えておこう」と考えるか。万が一を考えながらの日常生活。相当なストレスになるはずだ。だから万が一は考えない。住み慣れた先祖代々の土地を離れるなんて選択肢もない。難しい問題だろうと思う。

 

予め予測しておくことの大切さ。これは大事なのだろうと思う。火山は噴火するものだという認識。車を運転したら事故にあうかもしれないという予測。だからシートベルトをし我が身を守る。

 

想定したところで現実はなにも変わらないのかもしれない。山は人間の都合なんて考えてはない。その時がきたら噴火し辺り一面を灰で覆い尽くす。地震も防ぐことはできない。地面に足をつけている人間は自然の威力のなすがまま。巨大な自然の力に勝つことは困難だ。しかし、そうなることを予め想定しておけば、いざそうなったとき少しは違うのではないだろうか。まずは自分の気の持ちよう。割り切ることはできないだろうが、くるべきときがきたと腹をくくれるかもしれない。心構えというやつだ。冒頭の記事のようにどうにもならないことを延々と考え、うつっぽくなることは避けられるかもしれない。避難生活という新しい環境にも少しは柔軟に対応できるかもしれない。

 

ふいに腹を殴られれば、言葉もできないくらいに苦しい。ただただ倒れ苦痛にもがくだけ。しばらくは立ち上がれない。しかし、今から殴られるということがほんの一瞬でも前にわかっていれば、そんな状態は防げる。腹筋に力を入れ、その痛みをはね返すことができる。それでも痛いがなんとか我慢できる範囲だ。少し経てば立ち上がることもできるだろう。

 

毎日、島のことばかりを考えて夜も眠れないという男性。ふるさとを思う気持ちは、その人の優しさなのかもしれない。いいかえれば執着。思いが強すぎるばかりに、その気持ちに自分自身が潰されようとしている。

 

変わってしまった現実に悩む人がいる。一方で、なにも変わらない現実に悩む人もいる。共通しているのは「これから先どうなるのだろう?」という不安に思う自分自身の気持ち。考えても仕方がない。だからといって、それを考えずにいられるほど強くはない。思えば思うほど、その気持ちは強くなる。ということはなにか別のことに目を向けることが必要なのだろうか。それは決して目を背けるということではない。