ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ミニマリストという言葉の運命。すでに恥ずかしくね?

 

ミニマリスト

ミニマリストに飽きてきたという記事を書いたのがちょうど一ヶ月前のこと。今ではミニマリストという言葉にそのものに気恥ずかしさを覚えるようになってきた。

 

ミニマリスト宣言

実生活の中でミニマリスト宣言をしたことのある人なんているのだろうか。あえて言うことでもないし、それを言葉にするのはなんだか恥ずかしい。

 

「ミニマリスト?だから?」

 

その人のモノが多いとか少ないとか、他人からすればどうでもいいことだと思う。モノが少ないほうがかっこいいと思っている。だから、あえて宣言するのだ。自分で自分のことをカッコイイだなんて思うほどカッコ悪いものはない。

 

なぜ、ミニマリストという言葉に恥ずかしさを感じるようになってしまったのだろうか?その言葉を聞く機会が増えすぎたんだろうと思う。特別感がなくなった。少数派だったはずなのに、気が付いたらそこかしこにミニマリストもどきがいた。一点ものの服だと思って購入したのに、そこかしこに同じ服を着ているやつがいるようなものだ。

 

別に人と違う生き方をしよう思っていたわけではない。特別感を求めていたわけでもない。単に無駄が嫌いでシンプルが好きというだけのことだった。不要なモノを排除すると、身もココロもスッキリと軽くなって、楽に生きられるようになった。だからミニマリストに近づきたかっただけのことだ。

 

ミニマリストという言葉に出会う

僕自身がモノを減らしシンプルに生活することをはじめたときにはミニマリストという言葉はなかった。シンプル生活という言葉もそれほど浸透していなかった時代にそれを実践していた。

 

ミニマリストという言葉に出会ったのはいつだったのだろうか?全く記憶にない。なんとなくかっこいい言葉だった。軽い気持ちでその言葉に乗った。それが今や、自分の中ではダサい言葉に変わってしまった。ミニマリストの考え方自体は今でも共感できる。これからも最小限な生活を続けていくつもりでもいる。

 

断捨離について

ミニマリストに近いところに「断捨離」という言葉がある。この言葉については特にどうとも思わない。使い古された感はあるが。しかし、断捨離アンという言葉、これにはミニマリストと同じく気恥ずかしさを覚える。断捨離は行為を表す言葉。断捨離アンは断捨離をする人のことを差す。その違いが恥ずかしさの原因だろうか?

 

要するに自分で「私ってこんな人」と言い切ってしまうことが恥ずかしいのだと思う。他人からすればどうでもいいことなのだ。「私ってかわいい」「僕っておしゃれ」というのと同等な恥ずかしさだと思うのだ。

 

ミニマリストは単なる流行言葉で終わるのだろうか。そのうち廃れてしまうのだろうか?流行語大賞にノミネートされた言葉を翌年使うのは恥ずかしい。旬を過ぎると一気にダサくなる。

 

でも、ミニマリストの考え方だけは廃れないで欲しいし、僕自身、そんな生活を続けていくのだと思う。