ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

形見についての記事を書いていたとき、一本の電話がなった

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形見の品って持ってますか?形見とは「形を見る」ということ。そう言われてもよくわからないですね。

 

形見
  1. 死んだ人や別れた人を思い出すよりどころとなるもの。残した品や遺品、また、遺児。「父の―の万年筆」
  2. 過去を思い出させるもの。記念の品。「旅の―とする」

 

残された品を見ることでその人を思い出し、形(その人)が見えてくるようなものなので、形見と呼ばれるようになったらしいです。

 

残しておきたいと思わない

残された品を見なくても両親を思い出すことはあります。私には「形」は必要ないようです。形あるモノを残すと邪魔になります。いつまで残しておくんだ?という問題もあります。モノと一緒に思い出も消えるなんてことはありません。消えてしまった思い出はその程度のものなのでしょう。

 

考えを残す

捨ててないものもあります。写真と一冊の手帳です。手帳には、ガンがわかってからの母の気持ちが綴られています。母の気持ちが書き綴られた手帳を「単なる手帳」と割り切れません。「考え」は残しておいても損はないと思います。ブログに形はないので邪魔にはならない。自分の考えは唯一無二です。

 

思い出したもの

これを書いている途中で、母がいつもかぶっていたオレンジの帽子を思い出しました。山に行く時によくかぶっていました。その帽子はすでに処分しているんですが、今でもその帽子をかぶっている母の姿は鮮明に思い出せます。なんだか楽しそうな母の姿です。

 

モノは残せとのアドバイス

両親のモノを処分している時期に親戚から言われたことがあります。

 

「全部捨てるんじゃなくて、棚を作ってそこに両親の品々を並べたらいいよ。写真も沢山飾ってたまには思い出せばいい」

 

余計なお世話です。思い出コーナーなど作らなくても、自分の中にそれはあります。モノを並べておくと、そのうち埃まみれになります。そんなものを見ていると、思い出まで埃まみれになってしまいそうです。形あるモノはいずれ崩れます。思い出はそれとは逆に美しくなっていきます。自分にとってどちらが必要か考えるまでもないです。

 

後日談

今日は、なぜか無償にこのテーマで記事を書きたくなりました。そして、ほぼ書き終えた頃、電話がなりました。おばあちゃんの訃報でした。先ほど病院へ行き、息を引き取ったおばあちゃんと面会しました。そして、なぜか、わたしがおばあちゃんの指輪を引き取ることになりました。おばあちゃんの形見が今、手元にあります。