ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

100円の野菜を1,000円の送料をかけて送る親の気持ち

親子の愛

おばあちゃんとお別れしてきました。僕って非情な人間なのかなっていうくらいに、ずっと悲しいという感情がありませんでした。最近では、おばあちゃんに会いに行っても寝てることが多かったんですね。その様子とあまり変わらなかったから。そのうち、起きてくるんじゃないかって思うくらい、いつも通りでした。

 

でもね、やっぱり、これで最後だっていうときは、涙がとまりませんでしたね。なにも考えなくても、一度、寂しさを感じると、その感情はとまりません。

 

「故人にさよならを言うのではなく、今までの感謝の気持ちをお伝えして、お別れをしましょう」

 

この言葉をきいたときにいろんなことを考えました。

 

当たり前だけど、僕が生まれるより、ずっと前におばあちゃんは生まれていて、僕の母を産みました。月日は経って、母は僕を産んでくれました。多分、喜んでくれたんだと思います。

 

たくさん思い出があります。動物園に一緒に行ってくれたり、花火を一緒にしたり。お年玉もたくさんくれたし、ご飯もたくさん作ってくれた。おばあちゃんの作ってくれたから揚げがとても好きでした。

 

泊まりに行ったときは、夕方になると、近くのお店によく一緒に買い物に行っていました。エプロンつけたままで、買い物カゴ持って。ついでにおかし買ってくれて、ガチャガチャするために100円もらってました。

 

高校生のときは父親とケンカして一週間くらい家出しました。行くあてはおばあちゃんちしかありません。学校に行くのに、昼ごはんにと新聞紙に包んだ弁当を渡してくれました。恥ずかしいからいらないって断りました。ごめんね、おばあちゃん。せっかく作ってくれたのにね。

 

僕の母はおばあちゃんよりも先に旅立ちました。おばあちゃんは自分の娘を先に見送ったことになります。こんな悲しいことってないと思う。自分の命よりも大切な娘を先に見送ることになるなんて。でも、こればかりは僕たちにはどうすることもできませんでした。

 

ここ最近は、入院することも多くありました。転んで怪我をして、歩くのが困難になったり。ひとり暮らしはもう無理だから、施設に入ることを勧めましたが、かたくなに拒否しました。最後のときは家で迎えることになりました。それはそれでシアワセなことだったんでしょうか?

 

最後に寺の住職の説教を書き残しておきたいと思います。

 

人というのは、損得でものを考えます。「あんなによくしてやったのに、礼のひとつもないなんて。あいつには、もう二度とよくしてやるもんか。」大抵の人はこう考えます。

 

しかし、ただひとつだけ、損得感情のない関係があります。親が子を思う気持ちです。家を離れた自分の子どもにスーパーで買った100円の野菜を1,000円の送料をかけて送ってやる。受け取った子どもは怒ります。そんなもの近くで買えるから、送ってこなくてもいいよ。送料の方が高くつくのにバカなことするな。

 

それでも、親は、また野菜を送ります。また、子どもは怒ります。怒られることはわかっていても、親は野菜を送り続ける。子どもは損得で考えます。100円の野菜を1,000円もかけて送ってくることを損得で考え、怒ります。

 

しかし、親が子どもを思う気持ちに損得はないのです。怒られることをわかっていても、子どもを思う気持ちはかわらないのです。

 

そんな親の気持ちにようやく気が付く日がきます。それが今日なのじゃないですかね。はじめて親の気持ちが勝ったのです。親が子どもに送ったのは、100円の野菜だけではないのです。その気持ちこそが、子どもに送りたかったものなのです。