ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

価値あるモノを持つと、まわりが敵にみえる

皿

以前は、お宝の番組をよく見ていた。「いい仕事してますねー。」っていうあれだ。「こんな小汚い壺が300万円もするのか。」とか「こんな絵の具塗りたくっただけの絵が2000万円もするのかー。」とか関心しながら見ていた。

 

モノの価値

骨董や美術の世界ってホントわからない。モノに対する価値観なんて人それぞれだ。どこかの偉い人が「これは素晴らしい。芸術作品だ。」と言えば、多くの人はそれに納得して、価値あるものとして扱われる。

 

確かに、いい絵だなって思うこともある。それが500万円だと言われれば、「俺って見る目あるわー、」なんて思ったりもする。同時に「でも、いらないわ。」とも思う。

 

価値あるモノを持つと気が気じゃない

そんな高価な絵がうちにあったとしたら、気が気ではないと思う。「あの家には500万の絵があるみたいだから、忍び込んで盗んでしまえ。証拠残さないように、家は燃やしちゃえ。」なんてことになったら、どうしてくれるのだ。ま、燃えたらスッキリするかもしれないけれど。

 

家が燃えて、いつまでも悔やみ落ち込むのが一般人?家が燃えて、「スッキリした―。今度はキャンピングカーにでも住むか。」って思うのがミニマリスト?だとしたら、ミニマリストって少しだけおかしい。

 

一度だけ、数百万の札束を抱えて歩いたことがある。まわりが全員敵に見えて仕方がなかった。どいつもこいつも自分のカバンの中身狙ってるような気持ちになって、気が気じゃなかったん。

 

瞬間の満足を得るための無限ループ

お宝の話に戻ろう。お宝好きな人は基本コレクターのはずだ。壺とか掛け軸とか山のように所持してて、それを大切に箱の中にしまってるイメージがある。「部屋中、箱だらけじゃん。単なる段ボールに囲まれた部屋じゃん。」っていう部屋をテレビ画面の向こうでよく見かける。

 

コレクションってた手に入れたらそれで満足みたいなところがあると思う。買った瞬間が満足度のピークですから仕方かもしれない。その僅かな瞬間の満足を得たいがために、また次のモノを手に入れようとする。その無限ループって大変だと思う。

 

誰が処分すると思ってるんだろ

なにが大変かって、それに付き合わされる家族が大変だと思う。家中にところ狭しと段ボールが積まれる。「俺が死んだら好きにしていいから。」なんて言われても処分するのは大変なんだよ。二束三文で古美術商に売り飛ばすことになるくらいなら、現金で残してくれ。

 

捨てられない人がよくい「寝かしといたら価値が出るから。」というやつ。出ないんだよ、価値なんて。そこらへんのスーパーで売ってるものに価値なんて出るはずないだろーよ。

 

今はゴミを処分するにも金を取られる時代だ。というと、「お金取られるくらいだったら、邪魔になるものでもないし、うちに置いときましょう。」という結論になる。いやいや、邪魔なんだよね。うちにいくつタンスがあると思ってんの?なんでソファがこんなに沢山あるわけ?壊れた家電とか捨てようよ、新しいの買ったんだよね?

 

実家ではよく見られるであろう光景を想像で書いてみた。