ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「依存症ビジネス」の感想 前編

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

「 依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実」を読んでの感想です。全350ページぎっちり書いてあるので、読み応えがあります。今回は第一章、第二章の感想です。

 

第一章 社会は私たちを「廃人」にしたがっている

著者のデイミアン・トンプソン自身がアルコール依存症だったようです。そして、今はクラシック音楽のCDを集める依存症らしいです。CD収集は一時期、わたしもはまりました。月に4~5枚買うことが習慣になっていたんですよね。そんなCDのほとんども今は手元にはありません。

 

第一章では、カップケーキ、iPhone、鎮痛剤を依存の代表例として挙げています。カップケーキは糖分や脂肪分の依存性、iPhoneはアップルという天才的なマーケティングによる依存、そして鎮静剤は薬の依存です。

 

気分を向上させたいときはいつでも、自分に報酬、すなわち「ごほうび」を与えるという習慣がますます強まったことだ。

 

やめられるか否か

著者は依存症は病気ではなく、自発的にすることだといいます。一方で、脳の「ストップ&ゴー」システムを狂わせるテクノロジーだともいいます。これってどちらも間違ってなくて、ストップが効かなくなる病気だと思うんですよね。飲みたくもない酒をついつい飲んでしまう。たいして欲しくもないモノをついつい買ってしまう。ストップが効いてない状態ですよね。

 

そんなものやめようと思えば、いつでもやめられるさ!といいわけをしつつ、いつまでもやめられないのが依存です。あたし、料理しようと思えば、ちゃんとできる人だからーっていうのと似てますね。いや、全然似てないです。でも、どちらも実行できないと説得力ないですよね。まずは、やってみ?って思います。

 

風刺画家ウィリアム・ホガースが描いた「ジン横丁」

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階段から赤ん坊を落とそうとする、にやにやした酔っぱらい女。アヘン窟で壁にもたれる、うつろな 目をした中国人船乗り。路地裏にいるジャンキー。本書の中でも紹介されているジン横丁で描かれている風景です。依存症といえば、こんなイメージを想像する人も多いんじゃないですかね?これと比べて、自分は健全だから依存症じゃないと目を背けるわけです。

 

でも、依存症者って普通に日常にいるんですよね。普通の住宅街で普通の主婦がクスリの売買とかやってる時代ですからね。ギャンブルも酒もその治療を専門とする病院が全国にあるくらいです。誰もが簡単に依存症になってしまう可能性はおおいにあるわけです。

 

第二章 依存症は本当に”病気”なのか?

 著者はアルコール依存症でした。その治療の一環として、AA(アルコホーリクス・アノニマス)に参加します。そこで行われている12のステップという断酒プログラムに参加するしか回復の道はないという考え方に疑問を投げかけています。

 

では、断酒プログラムに参加せず、自分の意思で酒を断った大酒飲みについてはどう説明するのか?AAの答えは、自らの意思で断酒できる人間は、そもそも依存症ではなかったということらしいのです。

 

著者はこの考えに対し、では、やはり依存症は病気ではないのでは?と考えているようです。では、病気でないのであれば、なんなのか?習慣だといいます。依存症の鍵となる要因は入手しやすさ。確かに手に入らなければ、もしくは経験できなければ依存症になることもありません。

 

依存症は習慣だという。(中略)モノが潤沢に溢れている社会では、入手しやすさに駆られた「依存という習慣」が意味するものは、機能不全に陥っている脳をもつ特定の個人だけを狙いうちにする「依存という病気」が意味するものと同じくらい気がかりだ。

 

第3章 なぜ自分を破滅に導く習慣をやめられないのか?

「病みつきビジネスが利用している脳の仕組み」が副題です。もともと内向的だった70歳の元公務員が、なぜ、突然ギャンブルとポルノにハマってしまったのか?原因は、パーキンソン病治療薬として服用していた薬でした。

  

パーキンソン病になるとドーパミンが減るらしいです。それを増やすために薬を飲んでいたのですが、必要以上にドーパンがドバーッと出ちゃって、突然ギャンブルとポルノにハマってしまったということです。

 

ドーパミンは「好き(嗜好)」という行動よりも「欲しい(希求)」という行動のほうに深く関わっている。

 

合法だろうが非合法だろうが、脳に影響を与える薬はたくさんあります。それらは快楽中枢を刺激し、一時的には楽しい気分を味わえますが、その後の副作用によって苦しむことになります。近道で手に入れた快楽なんてロクなもんじゃないってことですかね?

 

簡単にモノを手に入れて、一時的な満足感を得ることはできますが、モノで溢れかえった部屋の中を見て、うんざりすることは買い物の副作用なのでしょうか?

 

 脳の報酬経路の変化によって依存がおきてしまうのなら、そうならないためには脳をリセットする時間も必要なんですかね?それには禅が最適なのでしょうか?空っぽの部屋の中で頭の中を空っぽにするために禅を行う。考えただけでも解毒できそうな感じです。

 

第4章 お買い物とヘロインとお酒の共通点とは?

人々が薬物の問題を抱える確立がもっとも高くなるのは、薬物が、物理的・経済的・社会的・心理的に入手可能になったときだ。

 

人間には依存的な衝動があり、依存する対象を、ある物質や薬物から他の物質や薬物に切り替えることができるという考えには、とてつもなく広い範囲に影響をおよぼす含意がある。

 

24時間いつでもお菓子や酒が手に入るコンビニ。翌日には欲しいものが自宅に届くAmazon。闇の社会に簡単に繋がることができるインターネット環境。依存する環境はじゅうぶんに整っているといえそうです。

 

第5章 スイーツはもはやコカインだ!

砂糖水を断続的に与えた理由は、砂糖を取りあげたときに、ラットに何が起きるかを知りたかったからである。その答えは、離脱症状だった。ラットは、フィックスが手に入らない麻薬中毒者のように、不安げに震えていた。そして、砂糖水が再び与えられると、むさぼるように飲みほしたという。

 

砂糖の摂取はコカインやヘロインと同じようにドーパミンに作用し、強い依存性をもたらすといいます。とくに白砂糖は人工的に作られた自然界には存在しない異物なので、健康にはよくないみたいです。

 

この依存性を利用して、クリスピー・クリーム・ドーナツやスタバは人々の生活に入り込んできているということです。砂糖たっぷりのマフィンやドーナツを朝食代わりとかはやめといたほうがいいんでしょうね。

 

わたしはフラペチーノなんか見ると、それだけで1年分の糖分を摂取した気になります。フラペチーノは飲んだことはおろか、手にとったこともありません。どう考えても体にはよくなさそうで手が出ません。

 

砂糖依存なんて考えたこともありませんでしたが、自然と回避する生活を送っていたようです。甘いものって一定量以上摂取すると、気分的に受け付けなくなるんですよね。決してキライじゃないんですけどね。なにごともほどほどがいいみたいです。