ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

100歳祝う銀杯なんてもらってホントにウレシイのか?

銀杯

100歳になると国から銀杯がもらえるらしいです。純銀製のそれは7,600円。ただ高齢者はどんどん増えていくし、必要なお金も増えるから、銀メッキにして3,800円で済むようにしたんだそうです。それってホントに喜ばれてるの?

 

100歳のお祝いに銀杯あげちゃう

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絶対いらないよね、コレ。3,800円のガラクタもらってなにがウレシイのよ。

 

「心待ちにしている人もおり、何らかの形のお祝いが必要になるとの自治体の声もある。」

 

ということで、厚生省はこのお祝いを廃止せず、存続を決定したようです。自治体の声ってなによ?銀杯利権に群がる人たちのこと?これを受け取る100歳の方々はホントにこんなモノもらって喜んでるの?3,800円のモノもらってよろこんでるの?

 

いやいや、3,800円という金額の問題ではないのですよ。お祝いをするというその気持ちが大切なわけです。

 

なんて言う人もいるんだろうけどさー。モノにこだわる必要って全然ないよね。それ以前に100歳まで生きたらオメデタイことなの?もちろん、いつまでもお元気なのはステキなことだけどさー、だからってメッキの銀杯あげなくてもよくない?

 

タダより高いものはない

国に不信感もっている人って沢山いると思うんだよねー。そんな不信感を持っているところからお祝いされてもウレシクないと思うんだけどな。もらえるものなら、なんでももらっておけって人もいるでしょうし、タダでくれるのならウレシイっていう人もいるでしょう。でも、ソレ、タダじゃないんですよね。税金ですよね。

 

わたしは世の中、タダのモノなんてないと思っています。タダと見せかけて、別の形で値段に反映されているはず。お買い得品につられて、必要以上にたくさん買ってしまったっていう人多いでしょう。タダより高いものはないんだぞ。

 

会社でわたしが構築したシステムにより電子化がすすみました。紙の書類はなくなりました。結果、外注していた印刷屋さんは困りました。これと同じ構図が銀杯にもあると思うんです。ムダだと思っていながら、やめるにやめられない事情が。

 

処分するのは結局家族の役目?

こういうのって貰ってうれしいのって一瞬だけだと思うんですよね。それを受け取った瞬間だけ。それがうれしさのピークだと思うんです。で、貰ったら大切に押入れの中に仕舞い込んで、、そのうちその存在さえも忘れてしまう。

 

家族が遺品整理をすることになったときに、この銀杯が出てきて「さて、この銀杯、どうしたものか」と悩む。純銀なら買い取ってくれるところがあったかもしれないが、メッキだと買い取ってくれるところもない。せっかくもらったお祝いの品だし、燃えないゴミとして処分するのも忍びない。悩んだ結果、再びそっと押入れの奥に仕舞われることになるのです。

 

もらわないという選択肢

とりあえず、もらっておくという人もいるでしょうけど、とりあえずもわらないという選択肢もあるんじゃないですかね。疑問に感じたら、無理に受け取らなくてもいいんだと思います。返品の山を見たら厚生省もなにか考えるんじゃないですかね?ムリか。