ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「いいわけ劇場」の感想

いいわけ劇場

いいわけ劇場 群ようこ

かもめ食堂を書いた人といえば知っているでしょうか。軽いタッチで様々な人が描かれています。「いるわー、こういう人」なんて思いながら読みました。「この物語の主人公はオレか?」と思う話もいくつかありました。

 

 目次

いいわけ劇場

 

止まらない男 --したいから

止まらない男は男の悲しい性ですね。気持ちは理解できます、気持ちはね。37歳、風俗通いの男の話です。

 

満腹家族 --幸せだから

満腹家族は、ひたすら食べることにシアワセを感じているトドと化した家族3人の話です。幸せならいいんじゃない?でも、このシアワセと引き換えに体は毒されていて、後々大変な目に合うんだろうなと思っていると次は無添加青年の話。

 

無添加青年 --あぶないから

添加物に囚われ過ぎてまわりからはヘンな人扱いされるという話。「食べてすぐ死ぬの?何を食べたって関係ないでしょ。」という彼女の反論にも「砂糖のせいでこうなっちゃったんだろうな。かわいそうに。」というヘンな人ぶりを発揮。わたしも無添加青年まではいかなくても、その傾向はあります。あえて体に悪いものはとらないというスタンスです。でも、添加物とか砂糖とか保存料とか気にしてると、スーパーやコンビニで買うモノってなくなるんですよね。なので、そこは普通に妥協しています。

 

 

さきほど、少し触れましたが、ケーキを普通に食べたいという彼女に、無添加の味気ないケーキを勧める青年。「よけいなお世話よ。」と彼女は一括。自分がこだわる分には問題ないですが、それを人に押し付けるのはよくないですね。ミニマリズムも押しつけはいけません。他人にとっては大きなお世話ですからね。

 

老婆の幸福 --もったいないから

もったいないからといって、なんでもかんでも拾ってくるおばあちゃんの話です。きっとゴミ屋敷なんでしょうね。もったいない精神も度を過ぎると、ゴミ屋敷を生み出します。

 

このおばあちゃんは若いころに裁縫の仕事をしていて、あまった布切れは捨てられずにとっておくような人でした。実は先日亡くなったわたしのおばあちゃんもそうでした。60歳まで洋服を作る仕事をしており、家には余った布が大量にありました。子どものころはその布切れを身にまとって、「なんとかマン」に変身して遊んでいました。

 

で、数年前におばあちゃん家を片付けたときに、それらの布きれはそのまま押入れの奥で眠っていました。もちろん、捨てました。勝手に片付けたときは、あれがないこれがないと怒られましたが、布についてなにも言われませんでした。その存在すら覚えてなかったのかもしれません。

 

 

欲望の女 --恰好いいと言われたいから

この物語の主人公は完全にこれ↓です。

 

餌やり爺さん --かわいいから

 餌やり爺さんとは、うちのおじいちゃんのことです。そういえば、一時期、カラスを飼っていたことがありました。なぜにカラス?と子どもながらに思っていました。しばらくして自由気ままなカラスは逃げていったようですが。

 

癒されない女 --疲れてるから

癒しを求めてさまよう女の話です。が、どの癒しにも癒されず、逆にいらいらしてしまいます。なにごとも気持ちの持ちよう。考え方次第で癒しにもなり、いらいらにもなります。


パパの憂い --狂おしいほど愛してるから

子どもが好きで好きでたまらない男の話です。子どもへの愛情というより自己満足ですかね。「こんな親に育てられてもなぁ。」って感じの男です。


妄想中年 --かまってほしいから

自分勝手なストーカーの話。気持ち悪い男です。でも、自分は気がついてないっていうね。

 

ぶりぶりママ --生きていかなきゃいけないから

生きていくためには、演じなきゃいけないんですよね。女の人って電話に出るときに声が1オクターブ高くなりますよね。最近では、あれを見習うべきだと考えています。


炎の勝負師 --金がほしいから

 ギャンブル依存症の女の話です。マージャンにハマって借金をするようになります。けど、彼女の目的は金儲けではなく、マージャンが好きだからという理由でマージャンを続けます。好きで続けていると最後には道が開かれます。

 

120分の女 --目立ちたいから

最後に持ってきましたが、本書では最初の物語である120分の女の話。毎朝、120分かけて化粧をし、決して誰にも素顔を見せることはありません。いや、見せられないのです。唯一、この話だけは共感できませんでした。わたしは一度も化粧をしたことがありませんので。