ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

肉まんは鍋で蒸かす

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なにもない日の祝日の午後。枝と戦い、高枝チェーンソーをわが手に取り戻したわたしはさんざん疲れた。昨日の記事の続きである。

 

昼ご飯は551の肉まんを食べた。とくにお腹も空いていなかったけど、解凍するために冷凍庫から出していた。食べないという手もあるけど、再び冷凍庫の中で冷たい目にあわせるのも申し訳ないので食べることにしたのだ。電子レンジは先週、粗大ゴミに出したのでチンすることはできない。蒸し器なんて当然持っていない。でも肉まんを蒸かす方法をわたしは知っている。

 

肉まんをおもむろにクッキングペーパーで包み、沸騰した鍋の中に放り込む。クッキングペーパーは水を通すことがないので肉まんを濡らすことなく蒸かすことができる。時間にして15~20分。レンジでチンすることに比べれば、すこぶる時間がかかる。だが急がねばならぬ理由はなにひとつない。待っている間に食欲は増す。まだか、まだかと待っているその時間が肉まんの美味しさをより一層引きだすのだ。無論、そんな時間がなくても551の肉まんは美味しい。

 

待っている間に、これからの今日をどう過ごすか考える。なにもない部屋に大の字になって寝転ぶ。目を閉じる。聞こえてくるのは、うるさいカラスのなき声。静かにしやがれとココロの中で思うと、泣いたカラスが笑った。手足を広げ寝転んでいると体中が脈打つのがよくわかる。生きている、わたしは生きているのだ。ドクン、ドクン。しばらくその脈を感じることにする。なにも考えられない。なにも感じられない。感じるのは自分の存在だけ。

 

いつまでもそうしていたいが、そうもいかない。脈が止まるまで待っているわけにもいかない。グツグツグツ…。肉まんはいい感じに温められた頃だろうか。鍋のふたをあける。フワッとした蒸気でメガネがくもる。そのくもりの奥に551の肉まん。レンジでチンしたよりも美味しそうに感じるのはきっと気のせいだろう。粗大ゴミになった電子レンジは今頃どうしているのだろうか?僕のことを覚えてくれているのだろうか?

 

551の肉まんは美味しい。「っしゃいませー。名物の煮込みラーメンはいかがですかぁ?あぁん?」という売り込みのお兄さんの声が蘇る。煮込みラーメンなんて誰も買ってなかったな。そもそも、ラーメンを煮込んでしまったら、麺が伸び伸びになってしまうではないか。

 

肉まんを食べ終わった僕はふたたびすることがなくなった。読む本も今は手元にない。・・・そうだ、靴を磨こう。革靴2足、カジュアルスニーカー1足。右足のスニーカーは若干、ひび割れている。こいつだけは履き潰したい。いや、できれば潰すことなく、履き続けたい。

 

考えてみれば革靴の1足はもう10年くらい履いている。磨けば磨くほど、自分だけの一足になっていく。大事にしたい。大切にしたいと思いながらも壊れてしまった気持ちを思い出す。なにが間違っていたのだろうか?考えても答えがみつかるわけでもない。壊れてしまった気持ちが元に戻るわけでもない。でも、次はほんの少しだけうまくいくかもしれない。

 

靴はピカピカになった。やることは以外にたくさんあるようだし、考えなければいけないこともたくさんあるようだ。