ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

泳げない僕は水回りの掃除が苦手なのである

水滴

苦手な掃除がある。水まわりの掃除である。苦手だからキライなのか、キライだから苦手なのか。どちらにせよ、水まわりの状態はあまり褒められたものではない。

 

一番キライで苦手なのが風呂掃除。苦手なのでたまにしか掃除しない。すると当然のようにタイルが貼られた床などはヌメッとする。水まわり独特のあの赤いカビ。想像しただけでもゾゾッとするのだが、自分で招いた状態だから仕方がない。

  

風呂に入るときはメガネもコンタクトも外すので幸いなことに水垢が気にならない。まさに不幸中の幸い。でも、その不幸は目に見えてないだけで、確実にそこに存在する。不幸に囲まれながらシャワーを浴びている現実に気がつかないふりをする。

 

気が向いたときにシャワー浴びる前にブラシで床をこするのだが、その時はすでにコンタクトを外しているので、汚れが落ちているのだかどうだか判断できない。まあ、ブラシでカシャカシャこすっているのだし、汚れは落ちているに違いないと、ここでも自分を誤魔化しながら不幸な現実から目を背ける。

 

なぜ、水まわりの掃除だけが苦手なのだろうか?泳げないことが関係しているのだろうか?僕は半分溺れかけながら、25mをなんとか泳げるくらいのレベルである。傍からみると同じ場所でバシャバシャと水遊びをしているよにしか見えないかもしれない。ひょっとすると前に進むことなく、後退している可能性だってある。そのくらい泳ぎは苦手なのだ。そんな水に対する苦手意識が掃除にも影響しているのだろうか?

 

数か月に一回、意を決して風呂全体の掃除をする。床に這いつくばる。ヌメッとする。タイルとタイルの間の赤だか黒だかわかんないようなカビ。できるだけカビないように使用後は風を通し水気を排除しているのだが、それでもカビる。水気を排除しているといっても、足でえいえいと排水口に向かって水を集めるだけなのでカビるのも仕方がない。

 

数ヶ月に一度の本格的な風呂掃除。雑巾を使ってタイルの間を丁寧にこする。一度、この作業に集中すればこっちのもの。苦にはならずにこの地味な作業に集中できる。そう、やればできる子なのだ。ただやらないだけである。

 

それにしても、このわずか二畳程度の風呂場にどれだけのタイルが敷き詰めてあるのだろう。こすってもこすっても終わらない。小さなタイルを恨む。畳サイズの大きなタイルにしてくれれば、こんな作業は必要なかったのにと小さなタイルを恨む。

 

床磨きはある程度のところで切り上げ、掃除の対象を壁や天井に移す。壁や天井はさいわいにもカビが除去しやすい素材になっている。少し力を入れれば、カビは落ちる。天井の掃除は体勢がつらい。ずっと上を向いていると首が痛くなってくる。しかも、足元は滑りやすいので自然と足腰に力が入り、同様に痛くなってくる。この風呂場の中にも重力というものが存在するようで、天井の水滴が僕を襲う。カビ混じりの濁った水滴。

 

ポタッ・・・。

 

なにかが口の中に入ったような気がする。それは気のせいだと自分に言い聞かせ、ここでも不幸な現実から目を背ける。こうやって、なんとか苦手な風呂掃除をこなしているのである。