ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

なんとなくで食べたりしない

雪

「さすがにまだ雪は降ってないですよね?」

 

「それがね、降ったのよ。しかもわたしのすごいところが、明日なんとなく雪になりそうだなと思ってたら、ホントに次の日に雪になったの。」

 

職場でのある日の会話である。さすがの雪女ぶりですね、とお伝えすると軽く睨まれた。同じ環境で何度も冬を経験するとそういうのが感じ取れるようになのだろうか。温度とか湿度とか空模様とかそんな空気感みたいなものをなんとなく感じとって、今までの経験則から、「明日は雪かも。」と感じ取ったのかもしれない。ナマズが地震を予知できるのと一緒だろうか。だとしたら彼女はナマズだろうか。

 

昔の人の知恵も同じで、経験を積んだからこそのものだと思う。おばあちゃんの知恵袋が実はビッグデータを解析した結果得られたものだったら、ちょっとガッカリする。必死にデータ解析しているおばあちゃんの姿なんて想像したくないが、それはそれで凄いと思う。

 

うちではずっと押入れやタンスの中には新聞紙が敷いてあったので、僕は今でもそれに習っている。新聞紙には湿気取りの効果があるらしい。きっとなにか意味があるんだろうなぁと思い、意味もわからず実践していた。意味がわからなければ調べろよって話なんだけれど。

 

僕はこの”なんとなく”という気持ちを大切にしている。理屈じゃ説明できない”なんとなく”という気持ち。直感とかセンスっていうことにも繋がるのかもしれない。

 

例えば食べるもの。なんとなく甘いものが欲しいと思った時は体が糖分を欲しているのだと思う。なんとなく塩辛いものが食べたいときは塩分が足りないのかもしれない。すっぱいものが欲しくなったら、めでたく懐妊したのかもしれない。

 

これらのなんとなくが通用するのは、時たまやってくる欲求に対してのみだ。常に甘いものが欲しいとか、塩辛いものをツマミにビールを飲みたいと思うと、これはいけない。単に欲求を抑えられないだらしのない人間にしか見えないからだ。

 

以前の僕は甘いものが欲しくなると、なんとなくチョコレートやお菓子を食べたりしていた。週末だからといっては、生クリームいっぱいのロールケーキを買っていたが、実際にはそれほど食べたくもなかったま。そんな甘い生活を送っていた時のほうが、甘いもの欲求は強かった。砂糖依存の状態にあったのだと思う。過去の自分を振り返ると、やはり「なんとなくの甘いもの」はよくないのだと思う。