ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

いらないモノを持ち去ってくれるサンタクロース

クリスマス

「サンタっていつまで信じてた?」

 

それは友達からの意外な質問だった。僕がサンタなど信じるはずはない。そもそもサンタクロースを信じるという意味がわからない。勝手に家の中に忍び込み、見ず知らずの子どもたちにプレゼントを置いていくという行為が気持ち悪い。サンタクロースという知らないおじさんの不法侵入。きっちりと鍵を閉めたはずの部屋の中で真夜中に誰かがゴソゴソしていたら、きっと僕はこわくて目を開けられないどころか、身動きひとつとれないと思う。それを12月24日に限ってはサンタクロースだと疑わず、ワクワクしながらプレゼントを待つなんて、なんて都合のいい考え方なんだろう。


知らないおじさんにはモノをもらってはいけません。

 

その教えはどこにいったのだろうか?道端で飴ちゃんをくれるおじさんはダメで、不法侵入のおじさんはOKなのだろうか?

 

サンタというおじさんがひとさらいの可能性だってある。サンタの存在に気づいた子どもたちの枕元には怪しまれないようにプレゼントを置き、そのまま立ち去る。グッスリと眠っている子どもは、起きないようにそっと抱え上げ、その大きな袋の中に放り込みさらっていく。さいわいにもサンタクロースという格好は顔を見破られにくいし、真夜中にウロウロしていても怪しまれることはない。グッスリと眠っている子どもを見下ろしながら、ニヤリとするサンタクロースを想像しただけでゾッとする。僕はピエロが大の苦手だ。子どものころに笑いながら人を殺すピエロの映画を見て、それがトラウマになった。笑顔の奥に秘められた凶器。サンタクロースにも似たような雰囲気を感じるのである。

 

インターネットでなんでも好きなものが手に入る時代にわざわざ自宅まで届けにくるなんてどういうことなのだろうか?どこかの宅配便の社員なのだろうか?だとすれば時間指定は可能だろうか?

 

桃太郎や赤ずきんちゃんは時代に合わせてそのストーリーをいやがおうにも変えられているらしい。桃太郎は取り返した宝物を人々に返してあげなきゃいけないし、赤ずきんちゃんのオオカミはおばあさんを食べることはない。サンタクロースはそれらとはジャンルが少し異なるかもしれないが、同じように時代に合わせて変化すればいいのではないだろうか。

 

例えば、モノを置いていくのではなく、いらないモノを持ち去ってくれるサンタクロースはどうだろうか。お気に入りのモノだけで暮らしたい子どものもとに自分の好みとは違うプレゼントを置いてくなど、その子どもにとってはとても迷惑な行為である。「あー、いらないモノが増えた。」そう言って子どもは感謝するどころか、すぐにヤフオクに出品してしまうかもしれない。

 

サンタさんへ
これらのモノはいらなくなったので、その大きな袋に入れて持っていって下さい。欲しがる人がいれば、その人にあげて下さい。

 

モノを捨てるにも金がかかる時代だ。こんなサンタクロースにもきっと需要があるはずだ。とはいえ、夢は大切にしたいと思う。