ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

片付けられないということは放火事件まで引き起こしてしまうようで

 

ゴミ屋敷

「長男が部屋を片付けないため火を付けた」

 

片付けられないということは放火事件まで引き起こしてしまうようだ。50歳の長男と71歳の母親のふたり暮らし。それを聞いただけでも、なんだか気が滅入る。なぜだろう、このモヤモヤ感は。「恋人たち」という映画を観た際のなんともいえない気持ちにも通じるところがある。抜けたくても抜けれない日常。そんな毎日にしがみついていることしかできない。だから気持ちは堂々巡りで、ますます負のスパイラルに陥っていく。

 

 

きっと、この母親はそれ以外にも火をつけた理由があるのだと思う。この日常から抜け出すためには火をつけてきれいサッパリさせるしかなかった。冷静に考えれば、それ以外にも方法はあるのだろうが、この母親の前にはその間違った選択肢しかなかったのだ。でも、この母親はその方法で日常から逃げ出すことができた。間違った方向に脱げ出すことができた。そしてその罪を償ったあとは、また同じような生活を送るのだと思う。

 

放火したのはマンションの一室。他の住人は実に迷惑な話だと思う。

 

もう全部が嫌になったから この部屋に火をつけた
燃えろ 燃えろ 全部燃えろ

どうせ未来は 終点の袋小路 新しい自分を 見つけたと願うなら
過去の事は燃やしてしまおうぜ 灰になるまで

 

Amazarashiというバンドのワンルーム叙事詩という唄の歌詞を思い出した。こんな気持ちだったのだと思う。その行為は正当化できるものではないし、歌にするほどかっこいいものではないけれど。

 

 

僕にも似たような気持ちはある。

 

「この家、燃えたらすっきりするだろうな。」

 

もちろん、燃えてしまえなんて気持ちもないし、燃やしてしまおうなどと考えたこともない。両親の残してくれた大事な家だ。だから僕はきちんと掃除をする。だけどもだ。僕はこの家に縛られている。兄弟との約束で売ることもできない。空き家にしたまま別の賃貸に住むこともできない。空き家にされた家は、誰もいないとあっという間に古びていくことを僕は知っているから。家を空ければ、再び住もうと思っても容易には住めなくなる。広い庭もある。きっと荒れ放題になる。

 

不意の事故でこの家が燃えてしまったのなら、僕は残念がりながらも気持ちがスッキリすると思う。

 

「燃えちゃったな。でも、悔やんでも仕方がないよな。」

 

燃え尽きた家を見て僕は茫然としながら、きっとこんな思いに包まれるのだと思う。と同時に新しい生活を想像して、きっとワクワクするのだと思う。実に不謹慎だと我ながら思う。