ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

過去の自分と成長していく

生意気

「なまいきなやつだな。」

 

僕は会社の後輩Yと接するたびにそう思う。理由はわかっている。10年前の自分とあまりにも同じだから。いちいち言い訳をする。ちょっと人を見下したような態度。そのくせ常に自信はなさそうでオドオドしている。誰かになにかを言われるんじゃないかと身を潜めている。

 

他人と比べたって意味はないさ。そんなことをするから卑屈になるんだ。

 

数日前に読んだ本にはそう書いてあったのだが、比べているのは彼自身ではなく昔の自分なのだからどうにもならない。

 

彼と接するとイライラすることは前もってわかっているので、そうならないように自分自身に言い聞かせる。最初から僕のイライラをぶつけても彼にはその理由なんてわからないだろうし、イヤな人間だと思わせるだけだ。冷静に冷静に・・・。イライラを声に出さないように・・・。やさしく丁寧に指導してあげるんだ。

 

その指導に成功したときには、彼も言うことを聞くし、どうにかして理解しようと努力する。逆に失敗したときには、彼は僕の言うことなんて聞きはしないし、「僕は言われてやっただけですから。」と責任を逃れようとする。そうなると、僕はますますイライラし、ふたりの会話は負のスパイラルに陥る。僕も彼も成長なんてできやしない。それは僕の責任だ。

 

「今日は失敗した。」

 

「今日は成功した。」

 

そんなことの繰り返し。成功する確率はなかなかあがらない。練習すればうまくなるというけれど、彼との会話は紛れもなく毎回が本番だ。練習なんてありはしない。

 

思い返せば、10年前の僕はもっとひどかった。仕事のやり方などなにも知らないのに、先輩や上司の力を借りないと自分ではなにひとつできないのに、なんでもうまくやれる人間だと思い込んでいた。裏では上司が根回しをしてくれていた。だから事がスムーズに運んでいた。10年経って、その立ち位置に経ったときにようやくそれに気づいた。

 

人は1年や2年で劇的に変わることはない。10年経ったときには少しくらいは成長できているのかもしれないが、その成長スピードはあまりにもなだらか過ぎて、成長したのかどうかさえもよくわからない。同窓会で10年ぶりに出会った友達はあまりにも老け込んでいてビックリする。毎日顔を合わせている会社の同僚は10年経っても老けたのかどうかさえもわからない。

 

今僕ができることは、Yを少しでも成長させ、10年経ったときに、なにかに気がつくような経験をさせることだと思う。そして、僕自身も10年前の自分を思い出しては「あのときは若かった。」なんて反省できる経験を積むことだと思う。