ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

桜の葉を食べるべきか?春苦みのフキノトウ

 

桜餅

しょっぱい春

「春だなぁ。」

 

パン屋さんに並べられている桜蒸しパンを手にした僕。いかにも春限定の商品だから買わないわけにはいかない。蒸しパンの上には塩漬けの桜の葉。これを最初に食材として利用した人の発想力はすごいと思う。固定観念に縛られない発想力。

  

ところで、この桜の葉は食べるのが正解なのだろうか?「葉っぱも食べられるのよ。」と母から教わったので、僕は食べることに抵抗はないのだが、どうやら世間的には食べないのが正解らしい。桜餅であれば、あんこの甘さと桜の葉のしょっぱさのハーモニーがいいと思うのだけれど。まあ、これは好みの問題だし、塩分は控えるにこしたことはない。この習慣になれていた僕は、かしわ餅の葉っぱも食べようと試みたことがあるのだが、アレはさすがに硬かった。

 

僕のうちの近くには目の前に迫るような大きな山がある。春になると、桜色に一変する。今時期も少し膨らみ始めた桜の蕾で山全体が色づきはじめているように感じる。これは毎日見ているから感じることであろう。きっと他の誰かに話しても「気のせいだよ。だって、まだ桜の季節には一ヶ月もあるんだから。」と一蹴されるのだと思う。まあ、僕だけの楽しみってことにしておこう。

 

ホロ苦い春

昨日、ふきのとうを見つけた。僕は毎年そこにふきのとうが芽生えてくることを知っているのだが、ついついそのタイミングを逃してしまう。ふきのとうは春が訪れる少し前、まだ寒い頃にその芽を出す。僕はといえば、トウがたってしまった頃に、その存在を思い出すのだ。春の訪れを感じてから、芽を出してくれるとありがたいのだが、その前に芽を出してしまうものだから、すっかりタイミングを失ってしまうのだ。

 

今日はなんだか雨が降りそうだったので、早めにふきのとうを摘み取ることにした。ホントは食する直前に摘み取るほうがいいのだろうけれど、雨に濡れるよりはいい。それらを摘み取ろうと、そっと手を添えると繊細なやわらかさを感じることができる。

 

ふきのとう

 

さて、これらをどうやって調理しようか。ひとつは天ぷらにしよう。そして、もうひとつは和え物にしよう。酢味噌で和えてみよう。まずは、ふきのとうを軽く湯がく。お湯はみるみる間にエバーグリーンに染まっていく。春の色だ。日本以外の国では、春の色と言えば緑色を想像するらしく、桜色を想像する日本は珍しい国らしい。

 

湯がいたふきのうとうを冷水につけアクをとる。摘みたてだから、そこまでアクは強くない。そして、用意した酢味噌にあえてみる。

 

ふきのとうの和え物

 

「なんだか料亭のソレっぽい。」

 

見た目に満足した僕はその少しを手にとり、味見してみる。「春には苦みを盛れ」の言葉通りほんのりと苦い。それからしばらく経っても口の中がずっと苦いのだが、キライではない。春の訪れはホロ苦いものだ。