ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

以前のブログを削除すべきかで悩んでいる

少ないブログ

僕は以前に「少ない生活」というブログをやっていた。ライブドアブログだ。完全に放置されているかわいそうなブログだ。いまだにそちらのブログからのアクセスがあるので、少なからずご覧頂いている方もいるのだと思う。

 

放置したままだと、やはり気になるものである。使っていない銀行口座は解約したし、同じく使っていないネットサービスも解約した。新聞も置き薬もテレビも僕には必要なかったから解約した。だから「少ない生活」ブログも不要であれば廃止すべきなのだろう。

 

「少ない生活」の削除を躊躇している理由がある。「せっかく頂いたコメントを消してしまうのは申し訳ない。」という僕のやさしい気持ちである。いい人だなぁ、僕は。自分で書いた記事を消したくなければ、このブログに移動させてしまえばいいだけの話だけど、他の人のコメントまでは移動できない。偽装工作して他人が書いたように見せかけることもできるけど、そんなことしたら警察に捕まってしまう。偽造、ねつ造だと言われれば証拠隠滅罪になる。コメント寄せてくれた人はそんなことなどとっくに忘れているだろうから、気にしなくてもいい気はするが。

 

ところで僕は誰かのブログにコメントを残すことがほとんどない。よほど実生活で役に立った内容の記事だったり、共感できる記事であれば残すこともある。「大変参考になりました。また遊びにいきますね。」なんていう当り障りのないコメントが苦手だからだ。そんな無難なことを書いていると気持ちがモヤモヤする。

 

先日、「少ないブログ」を久しぶりに更新してみた。たいしたことは書いていない。文字数も圧倒的に少ない。そのブログからこのブログに少しでも流れ込んできてくれたらいいなぁなんてセコイ考えが浮かんだのだ。もし、あちらのブログから流れついてくれた人がいたらありがたいことだと思う。と同時に、僕のセコイ気持ちに付き合わされて申し訳ないとも思う。

 

ランキングで他の誰かとなにかの順位を争うことに疲れた僕は、このブログにはブログ村のバナーは貼っていない。争うべきは昨日の僕だと決めている。日々のアクセス数は気にしている。アクセス数が伸びるとやはり嬉しい。こういう気持ちを承認欲求というらしい。承認欲求にもタイプがあって、「上位承認」「対等承認」「下位承認」とあるらしい。人より優位に立ちたいか、対等に認められたいか、他人から蔑まれたいか。

 

僕は、そうだなぁ。しいていうなら対等承認だろうか。人間として人並みに認められて、今日生きることを許されるなら、それでいい。そんなに大袈裟な話でもないか。