ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

古いものは朽ち果て、新しいものが生まれる

桜

僕のうちは桜で囲まれている。ゆえに僕の部屋の窓からも桜が見える。この桜を見ることができない年もあったけれど、ほぼ毎年、僕はこの桜を見てきた。誰も頼みはしないのに、こうやって律儀に花を咲かせる。

 

ある年の台風で枝というには太すぎるくらいの枝が折れた。僕のウエストよりも太い枝は道をふさいだ。このままでは車が通れないので、折れた枝にロープをひっかけ車で引っ張った。そうすればいいと提案したのは父だった。父は仕事柄か、こんな知恵をいくつももっていた。

 

そんなできごとがあってから何年経ったか覚えていないが、折れた枝からは次の新しい枝が伸び、わずかながらも花を咲かせた。古いものは朽ち果て、そこから新しいものが生まれる。だけども、古いものの土台は残っているし、それがなければ新しいものも発生しない。過去があって今がある。

 

新しい枝はいかにも若い。他の枝に比べると艶があって色も若々しい。若い枝は全体の一部に過ぎないからよく見ないと若いと気がつかない。しかし、そこに若い枝が生えていないと、そこだけポッカリなにかが抜け落ちてしまったように全体のバランスが悪くなる。

 

こうして自分の部屋の窓からボンヤリと桜を眺めていると「桜って不思議な花だな。」と思う。咲き誇っているときは一枚の葉もつけていない。見事に全体が桜の花なのである。積もった雪と一緒で日常の風景を一瞬で変える。そして、僕らがその景色に飽きてしまわないように一瞬で散る。

 

散る先から緑の葉を生やしていく。夏にそなえる。夏にはその葉のおかげで太陽光はさえぎられる。冬になる前には僕が寒くないようにとその葉を落とし、ふたたび僕の元に太陽光を届けてくれる。そして、春になれば花を咲かせ、ふたたび僕らを楽しませてくれる。

 

僕は梅の花も好きだ。なぜだか父方のおばあちゃんのことを思い出す。結びつく思い出なんて特にないのに。数年間過ごした東京を去ることになった日に見た京王線沿いの梅園のことも思い出したりする。思い出しては、なんともいえない気持ちになる。

 

つつじ

 

春になると上を向いて歩くことが多くなる。少し他にも目を向けてみれば、次の季節への準備が行われていることに気づく。こんなふうにね。

 

紫陽花

 

こんなふうにね。

 

雑草

 

 こうやって全体が色づきはじめるから、桜の淡い色がよりいっそう際立つのだと思う。色のない風景に淡い桜の花が咲いたところで、あまり魅力的には感じないと思うよ。他の植物に感謝すべきだね、サクラさん。