ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

誕生日に自殺

自殺

誕生日に自殺する人は他の日の1.5倍

 

このニュースを聞いて僕は「自殺するのに自分の誕生日なんて気にするんだな」と思った。死にたいと思うほどに追い込まれても自分が生まれた日はちゃんと覚えていて、そこにこだわる人もいる。僕は自殺をしようと思ったことはないから、その心境はわからない。誕生日は誰しも年に一回だ。そのタイミングを狙って自殺するわけでもなかろう。そろそろ誕生だから自殺でもしようかと思うのだろうか。誕生日がそのきっかけになるのだろうか。「よりにもよって誕生日に自殺なんてしなくてもいいのに」と残された人は思う。その思いは単なる自分への慰めであって、普通の日に自殺をすれば別のことを思うのだと思う。なにも首を吊らなくても。なにもビルから飛び降りなくても。

 

僕は自殺する勇気なんてない。そんな勇気なんていらないけど。手首を切ったらそのキリッとした手首の痛さが想像できるし、首を吊ったら、その苦しさが想像できる。きっと現実にはもっと苦しくて、もっと絶望的なんだろうけど。それともその先に見えるのは希望なのだろうか。リストカットを繰り返す人は自分を傷つけることで安心するのだそうだ。深く切ったら死んじゃうから浅く切る。血の気が引く感じが気持ちいいのだろうか。それで生きているということを実感するのだろうか。


僕は子どもの頃、貧血気味で校長先生の話が長すぎてバタリと倒れるタイプだった。貧血は血の気が引く感じがあってほんの一瞬だけど、それが心地よくもあった。体がヒンヤリする感じ。目の前が真っ白になって別の世界にいく感じ。その直後に現実に戻されて体調の悪さを体中で感じるものだから、やはり貧血に苦手だった。同様に自殺することも心地のいいものではない気がする。

 

子どもの頃は誕生日というのはおめでたい日で、それはやはり両親が祝ってくれるから楽しい日だった。おめでとうといってもらえた。プレゼントもたくさん貰った。大人の誕生日というのは、またひとつ歳をとるだけの日になった。死にまた一歩近づいたと実感する日だ。段々と残りの人生のほうが短くなる。自分の両親が亡くなった歳を考えると僕の人生は完全に折り返している。

 

自殺を考える人は誕生日が特別な日だって考えるから、その日を選んで死にたくなるのだろうか。せっかく生きているのだから死んではいけないというのが僕の考え。死にたいという気持ちからちょっと目を背けてみたら、そこにはなにか別のものがあるかもしれないよ。やっぱり死ぬんじゃなかったって後悔しても遅い。