ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「ヒメアノ〜ル」を観ての感想を書く

ヒメアノール

ヒメアノ~ルという映画は穏やかに暮らしたい人は見てはいけない。退屈で残虐。突き刺さる鉛筆。水を失った金魚のようにピクピクしながら死んでいく人間。日常は不安で不満で、それをどうにかして変えたいと思っている人間がいる。思っていない人間もいる。なにも思わない人間がいる。人間であることを覚えていないものがいる。

 

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そうなってしまったのには理由がある。過去のつらいイジメ。だからといって人を人とも思わず殺してしまっていいはずがない。なぜ自分がそうなったか。自分でもわからない。人も景色も気がつかないうちに変わる。昨日の僕と今日の僕はなにが違うのだろうと考えてもなにも違っていないような気がする。だけども20年前の僕と今の僕は確実になにかが違っている。

 

以下は僕の記憶。小学生の頃、ある日突然イジメの対象になっているヤツがいた。なぜイジメの対象になったのか全く理由がわからなかった。大人になってから同じクラスだった同級生とこの話になったことがある。彼もまた理由はわからなかったという。イジメなんてそんなもんだ。理由などない。

 

ある日、修学旅行の班分けが行われた。僕は彼と同じ班になった。「僕と同じ班でごめんね」と彼は笑顔で言った。そのときの彼の笑顔は今でも忘れられない。なぜ悪くもないのに謝るのだろう。なぜ笑顔でいられるのだろう。なぜイジメられているのだろう。そんな思いと共に僕の脳裏に焼きついている。

 

この件に関する僕の記憶は曖昧だ。僕は傍観者だった。思い返せば、それもまたイジメだとわかるのだが、そんなものに積極的に関わりたくもなかった。主犯が誰だったのかも記憶にない。主犯なんていなくて原因になったのはクラスの空気。そんなことが原因でイジメの対象になるだなんてたまったもんじゃないろうし、それが犯人だなんていわれても納得できないだろう。僕はたまたまその空気から逃れられただけだ。

 

それと同じような過去のできごとがヒメアノ~ルの出来事の軸になっている。生まれながらのいじめっ子、生まれらながらのいじめられっ子というのはいない。最初はみな同じ。泣きながら生まれてくる。それから以降は人それぞれ。自分だけの力ではどうしようもないことも多くある。きれいごとだけでは生きていけないのは仕方がない。だから他人を傷つけていいなんてことにもならない。

 

これがヒメアノ~ルを見終わったときに僕が思ったこと。