ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

お布施は銀行振り込みでお願いします

盆

黒い家への訪問を無事に終えた。この件に関してはこちらの記事を参照して欲しい。黒い集団の親分は仕事が忙しいとやらで、その場にはいなかった。金さえ手に入れば法事なんて面倒なことはやってられないのだろう。僕にとっては好都合。

 

「よく来たわね」

 

そういってくれたのは、いつもお世話になっている叔母さん。この叔母さんの手前、法事を欠席するわけにもいかなかった。親戚というのは頼りになる反面、わずらわしさもある。だけども、血の繋がりがあると思うと不思議と安心した空気にもなる。黒い集団を除いては。

 

黒い家は掃除をされている様子はなかった。庭の草は伸び放題だし、玄関には蜘蛛の巣が張られている。不覚にも僕はそのくもの巣に引っかかってしまい、初っ端から出鼻をくじかれた。まあ、引っかかったのが僕でよかったよ。これが住職だったら大変なところだった。すさんだ人間の環境はすさんでしまうのだということを思い知らされた。

 

仏壇に手を合わせる。手前には微笑んでいるおばあちゃんの写真。その横には数十年前に亡くなったおじいちゃんの写真。やっぱ来てよかったかも。法事ってのはおばあちゃんのために行うものだしね。笑顔で迎えてくれたおばあちゃんを前にそう思った。

 

ところで、親戚のおばさん達から面白い話を聞いた。お布施の支払い方法についてである。通常はお気持ちとしてお布施という形で現金でお礼をする。気持ちだから、いくらでもいいわけだが、子どもの小遣い程度ってわけにもいかない。かといって必要以上に出すのも躊躇われる。一度多く出してしまうと、そこからレベルを下げるのは気が引けるしね。

 

だからかどうかは知らないが、最近では法事終了後にお寺側から銀行の振込用紙を渡されるケースがあるというのだ。値段も決まっているらしい。

 

「本日の法事のお支払いは銀行振り込みでお願いします。」

 

そっけないものだ。まあ、親戚付き合いやお寺との付き合い自体がそっけないものになっているのだから、そういうシステムもありかもしれない。だけども僕は親戚付き合いを重ねていって思うのだ。人との関わりは面倒だけど、大切なものだなと。

 

「叔母さん、お布施っていくら払えばいいの?」

 

「そうねぇ、おじいちゃんの時は、これくらいだったけど、今回はふたり分だからねぇ。きっちりふたり分払う必要はないと思うけど…。他の人にも聞いてみるわ」

 

こうやって親戚同士は繋がっていく。これが全て段取りよく決められていたら、全てがドライなものになる。悲しみだってドライになる。「すみません、住職。お布施払いたいんですけど、残金が足りないんでチャージしてもらってもいいですか?」なんてイヤ過ぎる。