ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

引き際の大切さ

勇退

「そろそろ引退させてもらえんかね。」

 

ある人はそういった。

 

「もう十分にあなたの愛は感じたし、皆は幸せになれたのだから、それもいいと思いますよ」

 

だけども、それを許さない人もいる。親でもないスネをとことんまでかじってやろうとする者もいる。引退されると都合が悪いから、なにかと理由をつけては、辞めさせないようにする者もいる。せめぎ合い。

 

引退の理由は決して自分のためではない。皆のために働きたいのに思ったように動けない。人間は年齢を重ねるとそうなることが多いと聞く。思ったようなパフォーマンスができないから引退するアーティスト。自分の限界を感じる。それをわかっているのは自分自身。もどかしのだと思う。それによって皆に迷惑をかけるのではないか。懸命に考えた末のことだったのだろうと思う。

 

その言葉が僕に伝わるのは、その人が自分のためではない他の誰かのためを思ってることが痛いほど伝わってくるからだ。あれはなんなのだろう。どうしたらあんなふうになれるのか。笑顔を見せるわけでもなく、かといって仏頂面でもなく。神妙な面持ちというのはああいうことか。

 

政治家の言葉が僕に伝わらないのは自身の利益のことばかりを考えているのが垣間見えるからだ。票が欲しいだけ。言葉巧みに人々を翻弄する。伝わってこないから興味がもてない。どうせ言葉だけだろ。平和という言葉を使えば戦争をしてもいいと思ってるんだろ。どうにも騙されているような気がするのだ。自分が勝つために他人を罵りけ落とす。あることないことをリークする。大風呂敷を広げる。中身がないことはわかってるんだ。

 

引き際というのは大事だと思う。僕の勤め先にもシニア制度がある。定年後にそれまでの数分の一の賃金で会社にしがみつくことができる制度である。もちろん真面目に働いていらっしゃる方もいる。次の世代のために汗を流す方もいる。すごいなと思う。自分以外の誰かのために懸命に働くというのは素晴らしいと思う。反面、シニアということを盾に働かない者もいる。「こんな少ない給料でやってられるか」と叫ぶものもいる。「だったら、やめればいいのに」と思う。そんな人に限ってとことんまでしがみつく。わずかな賃金が欲しくて欲しくたまらないのだ。引き際を間違えると過去の栄光まで汚しかねない。