ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

八月納涼歌舞伎を観てきた

歌舞伎チケット

八月の歌舞伎座は三部構成になっている。八月は客入りが悪かったからと勘三郎さん、三津五郎さんが三部性を導入し敷居を低くしたらしい。なので、チケット代もいつもよりは安めなのがうれしい。僕が今回見たのは第二部と第三部。その感想を以下に。

 

第二部

東海道中膝栗毛は弥次さん喜多さんがお伊勢参りをする道中を描いたもの。なぜか多分にワンピース歌舞伎の影響を受けていた。右近が演じていたのは、まんま白ヒゲという海賊だし、ラスベガスの演出なんてニューカマーランドのそれだった。お伊勢参りなのにラスベガス!?舞台は一気に海外へ。いるか?あの演出。澤瀉屋にはまともな歌舞伎をさせないのか?獅童の男子校の学園祭みたいなノリはなんとかならんのか?よく歌舞伎座であれを許したと思う。猿之助は少しやりすぎてしまうことがある。あまりにも盛りだくさんにするとお腹いっぱいになる。前菜からデザートまで全て肉!みたいなね。幽霊屋敷の演出はドリフターズそのままだし。途中で染五郎が「志村、うしろー」とかいっちゃってるし。五月に本当のラスベガスで獅子王という新作歌舞伎が行われたんだけど、その再現もあった。デジタル技術もふんだんに使われていた。

 

第三部

「土蜘」は悪い土蜘を源頼光たちが寄ってたかって退治するという話。蜘蛛の糸を撒き散らす姿はとても綺麗。きれいに糸が舞うように計算されているんだろうなぁなんて野暮なことを思う。この手の悪者ってすごく好きなんだよね。かっこいい。できれば最後に人間を懲らしめてやって欲しいと思う。

 

「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」は新作歌舞伎。元は笑福亭鶴瓶の落語。その落語の元はブラタモリのロケの途中にタモリさんが耳にした話。ということは歌舞伎の元ネタがブラタモリってことになる。そんなところからも歌舞伎が生まれるんだね。まあ、それも人の感性。「この話、面白いから落語にしてよ」という感性がないと芸というのは生まれないんだろうね。ストーリーはというとクソ真面目な武士と日の本一の花魁の粋な物語。花魁が身の上を語る場面は泣ける。花魁道中の沢山の提灯に囲まれた場面はとても幻想的。夢の中みたい。再演を繰り返して数百年の後、古典歌舞伎になることを願う。

 

あと、個人的にすげぇと思ったのは市川團子。中車の息子さんね。未来の猿之助ね。かわいいと言われる子役時代は過ぎ、かといって大人でもなくというお年頃なのだが、実に堂々とした演技をしていた。安心してみていられた。入ってわずか数年の歌舞伎の世界だが、しっかりと歌舞伎の血を継いでいるのだなぁと思った。