ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

澤瀉屋(おもだかや)について語りたいと思う

定紋

昨日、市川中車の本の感想を書いた。そのついでといってはなんだが、澤瀉屋について書いておこうと思う。

 

はじめての歌舞伎体験

僕がはじめて歌舞伎を観たのは確か二十代前半だったと思う。その頃、僕は東京で暮らしていた。そこでどういうわけだか歌舞伎を見に行くことになった。それまで僕の日常とは全く無関係の世界だった歌舞伎。だからこそ見に行こうと思った。幕見席であれば千円程度から観れる。時間も演目によっては三十分程度のものもある。その気軽さがよかった。

 

三代目猿之助の四ノ切に感動する

僕がはじめて澤瀉屋に出会ったのは建て直す前の歌舞伎座。三代目猿之助の十八番である義経千本桜の川連法眼館の場。通称、四ノ切を拝見した。子狐が親を思う気持ちを描いた場面だ。歌舞伎初心者だった僕はほとんど意味がわからず観ていた。正直にいうと、今でも大半の演目はよくわかっていない。なんとなく歌舞伎の雰囲気が好きだから観にいっているという程度のにわか者だ。

 

四ノ切はそんな歌舞伎初心者でも楽しませてくれるケレンと呼ばれる見た目の派手さが盛りだくさんの芝居。宙乗りはもちろんのこと、早変わりや欄干渡り、天井からくるりと回転しながら登場する場面などあっといわせる演出が多い。狐言葉という独特のしゃべり方も楽しい。

 

スーパー歌舞伎

そして、澤瀉屋といえばスーパー歌舞伎。三代目猿之助がこれをはじめたのは46歳のときだったらしい。その年齢から新しいことをはじめるパワーはすごいと思う。体力的にも相当きついはず。サラリーマンの46歳といえば、人によっては板挟みの役職についているだろうし、人によっては先も見えずに惰性で日々を過ごしている年齢だろう。歌舞伎役者の46歳といえば、ようやく芸が身に付いてきたかといわれる年齢。サラリーマンがシニアでの活躍を終えて、余生を送ろうとしている時期にようやく認められるような世界だから到底考えられない。

 

で、スーパー歌舞伎の話ね。僕がはじめて観たのは新三国志だ。主人公の関羽を猿之助が務める。劉備は実は女だったという設定でその役を市川笑也さんが演じた。いわゆるヒロイン役だ。これが当たり役だった。正直、笑也さんは歌舞伎はあまりうまくない。ドキュメンタリー番組で師匠である猿之助から「あんたのは歌舞伎じゃないんだよ」とまで言われる始末。でも、この役はよかった。男性である笑也さんが「男性のふりをしている女性の役」を演じているわけだから、ややこしい。

 

新三国志では中国の女形を復活させたり、京劇団の共演もあった。衣装の華やかさも素晴らしかった。下手をすれば品の悪さに繋がってしまいそうな派手な衣装は猿之助のセンスによって素晴らしいものになっていた。ちなみにスーパー歌舞伎の衣装を手掛けていた桜井久美さんは小林幸子の紅白の衣装を手掛けた人でもある。

 

澤瀉屋の弟子の存在

スーパー歌舞伎の最大のヒット作はなんといってもヤマトタケル。スーパー歌舞伎の第一作目だ。猿之助が病に伏せていた間は、市川右近や市川段治郎が主演を務めた。のちに四代目猿之助を襲名することになる亀治郎は澤瀉屋から距離を置いて間もない時期だった。澤瀉屋が一番大変な時期を弟子が中心となり乗り越えたことになる。

 

一番弟子の右近は来年2017年に三代目市川右團次を襲名し、屋号が澤瀉屋から高嶋屋に変わる。息子のタケル君が二代目市川右近となり歌舞伎界入りする。市川段治郎は膝を痛めてからは歌舞伎の舞台への出演が激減した。いつの間にか二代目市川月乃助を襲名していたが、ほとんど知られることはなかったと思う。そして2016年9月に二代目喜多村緑郎を襲名し、新派入りした。

 

こういう流れをみていると、澤瀉屋が解体していくような気がして少しさみしい気もする。しかし、中車の息子である團子や二代目右近など確実に次の世代に澤瀉屋スピリッツは受け継がれている。四代目猿之助は自らのDNAを残す気はないようなのが残念だ。

 

四代目猿之助

四代目猿之助は同世代に比べれば安定感があるし、抜群にうまいと思う。なんでもそつなくこなす。もう少しアドリブを効かした芝居をすれば面白いのにとは思う。勘三郎さんがそうだった。いかにもアドリブっぽい台詞が本当にアドリブだったのかはわからない。でも共演者である橋之助さんや息子の勘九郎、七之助が舞台上でも本当におかしそうに笑っているものだから、見ている側も本当に楽しかった。僕は中村福助さんも好きなのだが、歌右衛門襲名が延期になったままで復活の兆しが見えてこない。橋之助の芝翫襲名の方が先になった。

 

三代目が病に伏す直前の舞台

猿翁も残念ながら、今後、舞台には立つのは難しいだろう。僕は三代目が病に伏せる直前の舞台を拝見したことがある。その舞台に違和感を感じたのでよく覚えている。その舞台は2003年10月の国立劇場で上演された通し狂言「競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)」だった。主役を勤めていた猿之助の台詞がぴたりと止まったのだ。一瞬、会場の空気がとまった。「あれ?どうした?」と思っていると、後ろから誰かが叫んだ。それを合図にしたように猿之助は台詞をしゃべりはじめ、舞台は進んだ。

 

違和感があったのは、そのわずか2~3秒のことだったが僕はこの出来事を鮮明に覚えている。完璧主義者であった猿之助のこのような場面をはじめてみたからだ。そのときは「まあ、そんなこともあるよな」程度だった。

 

そして翌月の博多座では藤間紫さんとの夫婦共演で西太后が演じられるはずだった。僕は一ヶ月公演の後半に観に行く予定にしていたのだが、その前に猿之助は脳梗塞で倒れた。実際にはパーキンソン病だったらしい。代役は市川右近が勤めた。僕は残念ながら夫婦共演を観ることはできなかった。

 

次に舞台上での姿を観れたのは2013年の大阪松竹座での二代目猿翁として舞台。約10年ぶりの姿に鳥肌が立った。その舞台は息子中車との親子共演だった。

 

これから先の澤瀉屋

長くなったけど、これが僕の澤瀉屋と歌舞伎に対する思い。團子はきっと五代目猿之助になるのだろう。その姿がみれるのは20~30年先のことになるのだと思う。実に楽しみだ。そんな先まで楽しませてくれるというのだから、僕は歌舞伎と澤瀉屋を応援せざるを得ない。