ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

僕以外の何者かになりきって記事を書いてみる

読書

とても読みにくい文章というのがある。

 

僕は図書館で本を借りるときに事前にAmazonでレビューをチェックする。星の数は四以上。レビューの件数が多いもの。それをひとつの基準とし今自分が興味がある本を選ぶ。だけども多くの人が評価している本が僕には全く合わないということがある。読み進めることができない。実に読みにくいのだ。面白くないとか書き方が下手ってわけではない。もしそうだったらAmazonでの評価が高いわけないよね。

 

僕にとって苦痛に感じるその文章はたいていの場合、独特の世界観がある。言い換えれば、文章に癖がある。好きな人にはたまらない世界観なのだろうけど僕は全く興味を引かれない。

 

そんなことって本に限らずあるよね。僕はブルーチーズが大好きだ。たまに絵の具のような味のするブルーチーズがあるけど、それさえも大好きだ。絵の具は食えないけど、ブルーチーズは大丈夫。嫌いな人は一口食べただけで眉間にシワがよるよね。

 

本も一緒。あわない文章を読むのがつらい。とても完読できそうにはない。そんな時は無理せず諦める。世の中にはたくさんの本があるのだから、無理してその本を読むことはない。

 

僕はこのブログに「擬人観」というカテゴリを作った。それは僕の世界観だ。

 

擬人観

人間以外の動植物、無生物、自然、概念、神仏などに対し人間と同様の姿形、性質を見いだすことである。

 

いつの頃からか、そんな感じの記事を書くようになった。1000文字の物語。僕の思いを僕以外のなにかに託す。僕自身がそれをいってしまうと、少しトゲトゲしくなってしまうから、他のものに語ってもらっているのだ。

 

僕自身が野良犬になってみる。野良犬は僕のことをどんな目で見ているのだろうか。怯えるような目付きの彼女は僕のことを敵だと思っているのだろう。なぜ敵だと思うのか?僕を含めた人間というものを敵ととらえているのか。彼女の過去になにがあったか。別のものになりきり、想像力を働かせれば、いくらでも筆は進む。

 

スマホになりきってみるのもいいかもしれない。「毎日毎日僕のことを擦りやがって」「アホみたいな顔で僕のことをみつめるんじゃない」自分意外の何者かの目線で自分自身のことを見つめ直す。大切なのはスマホの気持ちになりきること。まあ、スマホに気持ちなんてないけどな。