ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

丁寧な暮らしで充実する日々

栗の皮剥き

丁寧に生活することに気がつくと僕はとても充実感を感じる。それは大抵あたりまえの日常の中にある。掃除をすることだったり食に関することだったり。今の時期であれば栗の皮をひたすら剥いているときにそれを感じる。昔の人はこうやって少しずつ冬の支度をしていたんだろうなぁ。

 

昔の人にとっては冬は越すものだったのだろうと思う。

 

こ‐す【越す】
ある時期を過ごして送る。 「冬を―」

 

その時期を乗り切るために保存食を作る。食材が手に入らなくても困らないように。秋に採れた食材をムダにしないように。栗の渋皮煮、干し柿、漬物、ジャム。いずれも時間をかけてじっくりと作るもの。昔は余計なことに時間をかけない分、こういうことにたっぷりと時間をかけられたのだろうと思う。

 

なにも考えずにもくもくと目の前の作業をこなす。不思議と頭の中も浄化されていく。終わったあとは充実感でいっぱい。単純作業が苦手な人は苦痛だろうね。僕はさいわいにも単純作業が苦痛じゃないタイプだから、このような作業に充実感を覚えるのだ。

 

掃除にしてもそう。雑巾をしぼり、目の前の床を拭いていく。汚れたら、また雑巾を絞り床を拭く。その繰り返し。終わったあとに「よし」とつぶやきたくなる。

 

乾き終えたあとの洗濯物をたたむ作業。正座をして一枚一枚丁寧にたたむ。夏用の下着はずいぶんとくたびれてきたから、冬がくる前には処分しようと思う。そして来年の夏がくる前に新調しようと思う。来年の予定が少しできた。

 

日常の作業は面倒だと思わないこと。面倒だと思うから食器は山積みになるし、ソファの上に服の塚ができる。埃まみれの部屋で生活するようになる。汚れる前に片付ければ部屋は汚れない。散乱している部屋をみて「あーあ、なんだかなぁ」と思いながら毎日を過ごすと自分自身も「あーあ、なんだか」な人間になりそう。実際にそうなっていた時期はある。

 

僕はこんなふうに考えている。

 

  • 食事の準備は健康でいるため
  • 掃除は運動代わり
  • 洗濯は自分がスッキリ、おしゃれになるため

 

別のことに置き換えてみると少しはやる気がでるから不思議。