ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

クジラを釣る夢、生き物の区別

クジラ

釣りをする夢をみた。一度目にはクジラをつった。二度目にはサバをつった。クジラをつって死なせてしまったときは、かわいそうなことをしたと涙を流し、サバをつったときにはしてやったと歓喜した。このふたつの命になんの差があるのか。

 

動物園の人気者が息絶えれば、皆は挙って花を添える。クリスマスには挙ってチキンを食す。チキンに命があっただなんて考えもせず。僕は仏教徒でもクリスチャンでもないけれど、食事の前に手を合わせるとか祈りを捧げるとか、そういった気持ちを表す行為は大切だろうと思う。そのためには気持ちの余裕。一呼吸おき「あぁ、そうだ」と思い出す。

 

我先にと人々を押し分けて道を急ぐのではなく、ぶつかりそうになったら自らその足をとめ「お先にどうぞ」という気持ちの余裕を持ちたい。

 

とここまで書いておいて。なんだか「教え」みたいな書き方になっちゃったので、軌道修正。僕は釣りなどしない。だけども釣りの夢をみた。クジラは僕が持っていた竿で釣り上げた。ダイナミックな夢だよね。クジラをつるだなんて。

 

僕は実はクジラとかアザラシとか海の中の巨大生物が大の苦手。正直、こわい。海の中を泳いでいるその横からヌウッと巨大生物が現れてごらんよ。ビックリするよ。その大きさににつかわない小さな目で僕をジロリと見るんだよ、そいつは。んで、ニヤリとする。考えただけでゾゾゾッとする。

 

そんな感じだからクジラにたいして特別な愛情なんてないんだけど、息絶えた姿をみたらかわいそうと思った。同じ哺乳類だから?だれかが分類したそんな概念だけで見る目がかわってしまうのか。サバは単なる食料としてしか見ていないから、かわいそうだとも思わないのか。よくわからない。