ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「ストーンウォール」の感想

ストーンウォール

1960年代のNY。現在のセクシャルマイノリティの社会運動の原点となった事件「ストーンウォールの反乱」を元にした映画だ。主人公はゲイであることが発覚し、両親に見放され、親友にも裏切られる。故郷を追われたどり着いたのはN.Y.グリニッジ・ビレッジ。そこで仲間と出会うが、待っているのは理不尽な日常。それがその時代の彼らの現実。そんな現実から脱却するために、彼は石を投げた。理不尽からの脱却はそこからはじまった。

 

映画の冒頭、ゲイは本能むき出しの動物のように描かれている。ショーケース内にある帽子が素敵だからといって、ガラスケースを割る。そして、帽子を手に入れる。夜になればところ構わず本能むき出しの行為を繰り広げる。品なく騒ぎまくる。わざと嫌われるかのように。親の目を自身に向けようと必死な子どものように。

 

警察とギャングは癒着しゲイを食い物にする。人間扱いなどしない。同性愛者は存在することさえ許されない。ろくな仕事にはつけない。バーで酒を飲むことも許されない。野蛮で排除すべき存在。男娼に商売をさせ私腹を肥やすギャング。その行為に目をつぶるかわりに賄賂を受け取る警察。底辺に位置づけられた彼らはそこから抜け出すことは許されない。甘い汁を吸うのは上にいる者たち。

 

そんな生活に嫌気が差し、やがてその怒りは最高潮に達する。あとは爆発するだけ。その怒りは暴動へと繋がる。話し合いでなど解決できない。目には目を。いつまでも黙っていると思うなよ。いい気になるなよ。

 

ストーンウォール

差別というのは、何が悪いかって一方的に相手のことを罵り罵倒し蔑む行為だから許されない。そこに理由などない。同性愛者だから暴力をふるってもいい。その地域に住むものだから傷つけても構わない。自分と違うのだから人間扱いする必要なんてない。多数決の結果、数が多いものが勝つ。そうやって一方的に相手の頭を押し付けて、自分たちが上にいる気分になる。それが気持ちいいから。そうすることで自分自身のくだらなさをなかったことにしようとする。「あいつらはなんてゲスなクズ野郎なんだ!」と。

 

どうして放っておけないのだろうかと思う。気に入らなければ、顔を背ければいいだけのことじゃないか。そっちを見なきゃいいだけのことじゃないか。

 

押し付けられた声は徐々に大きくなる。ゼロからなにかが生まれる瞬間だ。そのなにかが生まれるまでにどれだけもがき苦しんだことか。

 

それでも差別がなくならないのは僕たちが感情を持った人間に生まれてきたからだ。僕はそう思う。