ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「愚行録」の感想

愚行録

妻夫木聡が出演いるからだろうか。「怒り」と被る。前編通して救いようがない。この映画にスッキリ感というものを求めてはいけない。なにかが明確に語られるわけでもない。犯人はお前だと逮捕される場面もない。

 

愚行

考えの足りない、ばかげた行い。

 

映画の冒頭、主人公はバスに乗っている。その横に立つおばあさん。「席譲ってやれよ」と罵る他人。主人公は席を立つ。足が悪いのか、倒れる主人公。「大丈夫ですから」と足を引きずりながらバスを降りる。バツの悪そうな他人。バスが過ぎ去るのを確認してスタスタと歩き出す。

 

ものごとは自分のフィルターを通してしか見えない。他人のフィルターで自分の世界を見ることはできない。自分のフィルターは自分に都合のいいようにできている。それは悪意とか善意とかではなく、当たり前過ぎる自分の世界なのだ。都合よく語られる話を他人が聞いたとき。そこに悪意なんて微塵も感じられず淡々と語られるとき。それを一瞬のうちに破壊してやろうと、なにかがプツリと切れる。

 

住む世界が違う。生まれが違う。育ちが違う。だから交わることができない。交わっちゃいけない。無理して背伸びして、高いところに手を伸ばそうとする。バランスを崩して倒れる。痛い。誰も自分のことなんて気にしていない。チラリと誰かがこちらを向いたような気がする。「自分の立場考えろよ」誰が言った?私自身が言ったの?

 

そこから抜け出そうとして必至にもがいて、抜け出したその先にあった世界はあまりにも違い過ぎた。そこに私のしあわせなんてなかった。だから壊してやろうと思った。しあわせな場所はすぐ近くに、ずっとそばにあったんだけど、それは近すぎて、普通の愛なんてカタチじゃ溢れてしまうくらいだったから。普通の愛のカタチなんて求めてしまうから。それは普通じゃくなった。

 

結局、悪魔の連鎖はたちきれないというただそれだけのことか。