ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

回覧板のトラブルは人との接触がゆえ

回覧板

僕が住んでいる地域でも回覧板が回ってくる。町内会とか自治会に入っていたら回ってくるよね。できれば抜けたいが、なかなかそうもいかない。自治会に入っていれば会費として半年ごとに三千円取られる。僕にとってはなんのメリットもない出費。だけどもこの三千円を払わなければ村八分に合いそう。それを回避するための三千円。これで平和に暮らせるのであれば安いものだ。と思い込むことにする。

 

回覧板ってのは昭和15年頃の隣組制度とともに普及したものらしい。隣組なんて聞くとあまりいい印象はない。互いに監視する制度。助け合いなんてイメージとはほど遠い。そんな昔の制度の名残がいまだに続いているのだ。伝えたいことがあるならメールでいいのにね。ブログでもいいよね。そんなふうにいうと「人と人との関わりが大切。コミュニティがどうてらこうてら」なんていいはじめる人がいる。家族制度自体が崩壊しているのに他人と関わってなにかを得ようだなんて。それ自体が間違っていると僕は思う。正直、うっとおしいだけの制度だ。

 

回覧板に記載されているのは「交番だより」「レクのお知らせ」「赤い羽根共同募金」などこれまた僕にとってはどうでもいいものばかり。回覧板がポストに入っているとうんざりする。「あぁ、またどうでもいいものが回ってきた」と。一応、さっと目を通して、どうでもいい内容だということを確認して次の家に回す。名前の欄に日付を記入することで自分は見たという証明になる。

 

「あれ?また回覧板がまわってきたぞ」

 

昨日回ってきたばかりの回覧板がまた僕んちのポストにある。連絡事項があるなら一度にすませてくれればいいのに。そう思って中を確認するとそれは先日まわってきた回覧板。僕は日付を記入済だ。どうしてまた僕んちにまわってくるのだ。最後に回覧板を受け取った人は自治会長さんの家に持っていくルール。もちろん僕は自治会長などではない。日付を確認するとどうやら赤い家のおばあちゃんが僕の家に持ってきたらしい。どういうつもりだ。またボケたふりでもしているのか。僕はこういうのは絶対に許せない。赤い家に回覧板を持っていく僕。自分で自治会長さんの家まで持っていきやがれ。

トラブル

母が健在だった頃も似たようなトラブルがあった。半年に一回くらい市の広報を配る役割が回ってくる。これは誰の家も平等。赤い家のおばあちゃんは配るのが大変だからといって母に代わりに配るように言ってきたらしいのだ。このとき母はすでに癌が発覚していて病院に通っている状態だった。赤い家には息子が同居している。その息子が配ればいいじゃないか。近所だからといってどうして他人に頼ろうとするのだ。どうして他人に押し付けようとするのだ。ちなみにそのおばあちゃんは数キロ先のスーパーに歩いて買い物に行くくらいお元気。広報だけが配れないなんてことがあるか。そんな前科があるから今回僕は回覧板を突き返してやった。

 

オレンジの家の住人にも同じように迷惑ごとを押し付けられたことがある。この住人は数年前にうちの隣に越してきたばかり。なのでご近所付き合いはほぼない様子。そのオレンジの家にももちろん回覧板はまわる。どうやら回覧板を受け取ったのが最後だったみたいで、返しに行くべき自治会長さんの家がわからないという。

 

「どの家が自治会長さんの家かわからないんですけど」

トラブル

オレンジの住人は僕に尋ねてきた。僕も正直よくわからない。「多分、あのへんの家だと思います。いけば自治会長っていう札がかかっていると思いますよ」と返事をするも「わからない、わからない」と言うばかり。「じゃあ僕が持っていきます」そう言うしかなかった。オレンジの住人は自分でどうにかしようという気がまるでなかった。ここで説明を長々と続け、嫌な思いをするよりも自分で足を運んだほうが早いと判断したのだ。

 

「え?いいんですか」

 

いかにも申し訳ないという態度をとるオレンジの住人。そういうふうに仕向けておいて「え?いいんですか」はないだろう。最初から僕がそういうのを待っていたんだろう。そういう態度でいい人ぶるのはやめて欲しい。

 

僕にとって回覧板は鬼門。人から人へと繋がる回覧板。他人と関わるってことは実に面倒なことだ。