ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「たかが世界の終わり」の感想

たかが世界の終わり

「たかが世界の終わり」はフランス映画。実に難解だ。どう解釈していいのか。直接的な表現やセリフは出てこない。噛み合わない家族の会話と押し黙る主人公。なにか言いたいことがあって12年ぶりに実家に帰ってきたようなのだが、その理由はついに明かされることはなく。あえてそうしたのだろうが、わかりやすい表現に慣れている僕からすれば、モヤモヤ感の残る映画だった。

 

映像はとてもきれい。音楽も美しい。しかし、この世界にすむ家族は決して美しいとは言えない。それが日常。美しくきれいなだけの日常なんてありえない。むしろその逆で日々は不満やイライラの積み重ねだ。それを打ち消すように楽しさを求め、マリファナを求める。

 

母親というのは世界共通なのだろうか。その和が崩れないようにと明るくおどけてみせる。それがときにはうっとおしくもある。家族で食事をしているときがいちばん幸せ。なのにその幸せは長くは続かない。主人公ルイがどういう理由で家を飛び出しどういう生活を送っているか。そんなことはなにも関係なくただ彼を愛しているという。

 

主人公の兄はささいなことで家族の和を乱す。せっかくの家族団らんをぶち壊しにする。「あぁ、どうせ俺が悪いんだろ。いつも自分のせいさ」と開き直る。この兄には言葉が通じない。久しぶりに帰ってきた主人公を追い返そうとする場面。「ルイは帰ると言った。俺が送ってやるから荷物をまとめろ。さあ、今すぐだ」泣きわめく家族。「どうしてそうなるの?ルイならわたしが送っていくわ」訴える妹。逆らえない主人公ルイ。

 

結局、ルイはなにも語らずに帰っていった。たかが世界の終わり。映画のサイトには主人公はもうじき死ぬことを伝えるために帰ってきたという解説がある。だけどもそれをほのめかす場面などでてこない。「実は...」といった言葉の先はない。映画の最後に鳩時計から鳥が飛び出す場面がある。その鳥は部屋の中を激しく飛び回り、その結果、壁にぶち当たって死ぬ。そ主人公ルイはそれを黙ってみている。これがルイの人生を表していたのだろうか。

 

人それぞれの解釈をするしかない映画。たかが世界の終わり。

 

同監督ではこちら↓が有名みたい。