ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

団地の子

団地

もうすぐ春のお彼岸。毎年春分の日を含む三連休は僕はどこかへ出かけており、前の週にお墓参りをすませるようにしている。母方のご先祖様のところと両親が眠る父方のそこへ。両親が亡くなるまではお墓参りなんて気にしたこともなかった。だけども、その役割が僕になった途端、墓参りはかかせないものになった。行かないといつまでも気になるのだ。

 

お彼岸

 

墓参りを済ませて、僕は近くにあるスーパーに寄った。晩御飯になるなにかをそこで買おうと思った。そのスーパーは天井が低く、光度も足らなく薄暗い。なんとも寂しげ。クリーニング屋が入っていた一角はいつの間にかもぬけの殻。「店舗募集中」の立て札が置かれていた。

 

そのスーパーは団地の一階にある。何十年も前に建てられたであろう集合団地は僕が子どものころからある。その集合団地を見上げる度に思い出す。あの高いところから誰かが飛び降りたんだっけなぁ。団地の一階にはスーパーの他に喫茶店や花屋、米屋などがある。子どもの頃よく行っていた書店はすでにない。ほとんどは空き店舗になっている。残りのお店もやっているのかどうかわからないような状態。

 

そんな状態だから、そこは子どもたちの格好の遊び場。少子化という言葉はどこにいったのだ?というくらいに子どもたちで溢れている。みんなで鬼ごっこ。いいなぁ、この団地といい純粋な子どもたちといい昭和の時代にタイプスリップしたみたい。団地が賑わっていた高度成長期。団塊の世代の子どもたち。男子も女子も関係なく、幼稚園児から小学校高学年までみなが同じように遊ぶ。

 

僕は団地に住んだことはない。まるで薬箪笥のような箱の家。どこを開けても同じ。せまっくるしいうさぎ小屋。そんなイメージだったけど、それは大人のイメージかもしれない。子どもにとっては濃密で温かさを感じられる空間なのかもしれない。外から声が聞こえてきたらドアを開ければいい。階段を駆け下りれば友達が待っている。だけども、子どもには子どもの世界がある。皆が楽しいとは限らない。こんなワイガヤとした空間が苦手な子もいると思う。僕はそういうタイプの子どもだった。

 

聞こえてくる会話はいかにも子どもらしい。なぜだか「学園天国」を口ずさむ子どももいる。僕の姿なんてまるで見えないかのように駆け回る子どもたち。大人の存在をいっさい気にしていない。僕もこの子達の年齢だった頃はこんなふうに夢中に遊んでいたんだよなぁ。大人になった僕の姿なんて子どもたちの視界には入っていない。その世界に僕は存在しない。ここは子どもだけの世界。