ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

わらしべ長者の春の日に

タケノコ

この時期の週末はタケノコ掘りに忙しい。これを放置しておくと山が荒れる。竹やぶはちょうど朝日が昇る方向にあるから朝の爽やかな日差しが遮られる。タケノコは一週間も放置しておけば、あちこちにその頭を出している。あまりにも大きくなりすぎたものは掘り起こさずにスコップを使ってパコーンとなぎ倒す。大きすぎるタケノコは食べても硬すぎて美味しくない。美味しくないものを労力をかけて掘り起こす必要はないしね。

 

 

掘ったタケノコは知り合いや親戚に配る。何度も配りにいくと逆に迷惑がられるのでその辺りは相手の反応を見ながら。

 

「先日もらったタケノコね、あっという間に売り切れた。大変じゃなかったら来週もお願いね」

 

そいうってくれたのは親戚のおばさん。この親戚は商売屋だから顔が広いのだ。年寄りなどは喜んでもらってくれるという。喜んでもらってくれるのはありがたい。たくさん生えすぎるとスコップでなぎ倒すのだが、その行為が食べ物を粗末にしているようで後ろめたかった。たくさんでき過ぎたキャベツをブルドーザーで踏みつけている感じ。タケノコは僕が丹精込めて育てたわけではないのでそこまでの後ろめたさはないけれど。

 

今年はそのタケノコが日本酒と一回分の食事に化けた。お礼にそれらをいただいたのだ。それには理由がある。去年、タケノコ掘りを体験したいというので、山を案内してタケノコを掘ってもらった。それが想像以上に大変だったらしい。なれている僕は実はそれほど大変さを感じていない。要領さえつかめばなんてことはない。

 

「いつもこんな大変な思いをしてタケノコを持ってきれくれたのね」

 

僕としてはもらってくれるだけありがたいのだが、お礼がいただけるのはもっとありがたい。こんなことなら、もっと早くにタケノコ掘りを体験してもらえばよかった。