ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

人の仕上がり

仕上がり

「なんだかくたびれたオヤジになったなぁ」まわりの先輩たちを見て思うことがよくある。若い頃は間違いなくイケメンだったろうに、それが数十年の時を経て残念な仕上がりになってしまっているのだ。「若い」→「歳をとった」という変化だけの話ではない。老いは人間誰しも経験することで、それが残念な仕上がりの原因にはならない。

 

男は化粧で化けることができないので(化けてもいいのだが、それは路線の違う話なのでおいておく)今までの経験、生き方が見た目に現れやすいのだと思う。人は見た目じゃないっていう人もいるけれど、年齢を重ねた時のかっこよさって最高に憧れる。街を歩いていると、たまにそういう人に出会う。「うわ、あのオヤジかっこえぇ」そう思うと同時に「ああなりたい」と思う。昨日、今日の仕上がりではない。簡単にいえばくたびれていない。

 

自分自身の生き方は自分で決めるものであって、人からとやかく言われるものではない。「家族がいるから」「仕事が忙しいから」「たまの休日くらいは」いろんな言い訳ができる。それも全て自分で選択した道。楽な生き方はいくらだってできる。そういうことの積み重ね。誰も見ていないからと手を抜くと、それが自分自身になって、結果、そんな自分をさらけ出して生きるようになる。

 

僕の会社でも昇格試験がある。ある年齢になれば自分に肩書をつけるためにそれを受ける。受けなくてもいいのだが、最低限その試験に合格しないと恥ずかしいというのが暗黙の空気になっている。実際にこの試験を受けずに定年を迎える人はいる。そんな人は見た目でわかる。「あぁ、なるほどね」と。

 

僕の元の職場の後輩が今年その試験を受けたのだが、全くダメだったらしい。それどころか試験を受けるための最低限の資格さえも持っていなかったらしい。資格とは国家資格。国家資格をある程度もっていないと合格はあり得ないのだが、彼の資格保有数はゼロ。普通の人は入社してから毎年何らかの資格を受験し、コツコツとそれを溜めていく。学生のときにとった国家資格も有効だ。ということは後輩は学生時代も含め、この十数年間、なんの努力もしていなかったということだ。決して馬鹿ではないはずなのに。なにを間違えてしまったのだろうか。若くしてダメという烙印を押されたようなもの。努力は金では買えない。自分が頑張るしかない。