ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「彼女の人生は間違いじゃない」の感想 福島と東京

僕はこういう感じの映画を好んでみる。「こういう映画が好き」というのとは少し違う。基本的にはどこかどんよりしていて、映画全般に漂うどこにでもあるような日常感にうんざりする。しかし、それは映画の中でのこと。「こういう感じだったよなぁ」と他人事のように思いたいからみてしまう。この手の映画には必ず救いがある。それはほんの僅かな希望で、自ら手を伸ばせばなんとか手が届きそうだし、あきらめてしまえばそれまで程度のもの。それを希望だと気がつけば救われる。希望なんてあるものかなんて思えば、そのまま埋もれてしまう。

 

主人公のみゆきは福島の仮設住宅に住んでいる。定期的にバスで東京へ向かいデリヘルをする。そこで男たちに消費される。福島は東京で消費される。父親は農業ができなくなり、貰った保証金でパチンコ通い。その日常から抜け出す様子もない。もしくは逃げ出す気力がないのか。もしくは逃げ出す術を失ったか。「保証金でパチンコしているくせに偉そうなこというな」と他人に罵られる父親。金をもらっても普通の生活が取り戻せない。保証金なんてもので済まされたってなぁ。でも、せめて金くらいもらわないとなぁ。普通の生活、今まで通りの生活ができなくなるようなモノなんて作っちゃいけないんだと思う。

 

熊本にいる友達が同じような経験をしたらしい。「義援金をもらっておいて、いい生活してるんじゃねぇ」震災にあった人間は今まで通りの生活をしちゃいけないらしい。つつましく、肩身の狭い思いをしながら生活しなきゃいけないらしい。義援金ってのはなんなのだろうって思う。とりあえず僕にできるのはほんのわずかなお金を出すこと。それくらいしかできなから、そうしていた。だけども、それって大きなお世話なのかもしれない。親切の押し売り。そのお金がなにに使われて、どういう人たちに渡るのか。僕は考えたことがない。きっと役に立つことに使われるのだろうと勝手に思っている。なにに使われても構いやしないけど、意図しないことには使われたくない。復興支援という名のバラマキや結局使われることもなく埋蔵してしまうことや。人によってその基準は違うようで熊本の人間が楽しそうにしている写真をみただけで不快な思いをする人間もいるのだと。震災にあった人間は自分より下なのか。かわいそうな人間なのか。お金を出す人間が偉いのか。笑顔を見せてはいけないのか。

 

僕は普通に暮らしているし、多くの人は普通に暮らしているし、もう忘れてしまったかのうようにしているけど、こういう映画を観て「たった数年前の出来事だったんだ」なんて思い出して、僕はまた普通に生活をするのだと思います。