ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「トイレのピエタ」を観ての感想、生きているから色々と考えますよ

トイレのピエタ

トイレのピエタという映画をみた。RADWIMPSの野田洋次郎が主役。気になっている映画ではあったけど、どうしてもみたかったわけじゃないかった。GYAO!で無料配信していて、たまたまみる機会を得た。

 

 

エンドロールで原案が手塚治虫であることを知った。そんな漫画あったかな?と調べてみると、手塚が最後に書き残した手紙が原案になっているらしい。手塚は胃がんで亡くなっていて、そのときの想いがトレイのピエタなのだ。

 

ピエタ

聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。

 

生まれがスタートであれば、ゴールは死で、生きてきたからにはゴールに向っていく。そのゴールが早いか遅いか。まっとうできるか悔いを残すか。

 

死を宣告されるほど惨いことはないと思う。僕の母親はガンだった。息子である僕は母にガンであることを明確には伝えなかった。伝えられなかった。

 

「お母さん、あなたはあと半年で死ぬようですよ」

 

死を宣告するようなものだから伝えられなかった。

 

兄弟は病院の廊下でしゃがみこみ泣いた。ふたりでおいおいと泣くわけにもいかなかったので僕はガマンした。昨日のことのように思い出される光景のひとつ。

 

なぜ生きているのだろう、だなんて考えたってわかるわけがない。死ななければいけないのはいつまでも生きているわけにはいかないから。一定数でいなきゃいつかはパンクするだろう?

 

懸命に生きるというのはどういうことだろうかと考える。真面目に仕事をすることか。自分の生きたいように生きることか。得たお金で余暇を充実させることか。家族を持って自分のDNAを未来に繋げることか。

 

懸命に生きなくてはと考えたところで日々は同じことの繰り返し。それだけで疲れるのだ。それなりに働いて、疲れた体を350mlのビールで癒して、誰かの声を聞いて一日を終える。

 

長い休みはそれなりに充実していて、でもそれは単なる暇つぶしのようにも思える。欲しいと思って手に入れては、手に入れたことさえも忘れて次のものが欲しくなる。一瞬を充実させるために消費していく。

 

「死にたくない」といった母の声も昨日のことのように思い出される。本気の声だったと思う。死んだら終わり。「あなたは死にます」といわれれば生きた心地がしない。

 

こんなことを考えるのはヒマだからであって、ようするに僕はヒマなのだ。