ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「終わった人」を読んでの感想 終わったその先の生き方

終わった人

内館牧子「終わった人」を読み終えた。僕も多分、迎えることになるであろう終わり。ぼちぼち考えるようになった。数年前まではセミリタイヤを意識していたもあるのだが、今ではそれを考えることは少ない。365日24時間を好きに過ごしなさいなんていわれても困る。時間は大切だなんていっておきながら、いざ時間を好きに使える状況になると、毎日を無駄にしてしまう可能性は高い。そうならないように今からでも「終わったあと」のことについて考えておきたいと思うのだ。

 

主人公は銀行に勤めるいわば「上」の生活を送っている男。役員というポジションを目の前に運悪く役員にはなれなかった。そこからは下り坂。子会社へと出向、転籍になり、定年までの刺激のない人生を送ることになる。

 

肩書きのなくなった男。元いた世界の人間からは見放され「終わった人」となる。映画やジムなどで時間を潰すが、どこに行っても平日の昼間はジジババの世界。俺は違うぞ。

 

ふいなきっかけで再就職し、不幸なきっかけでトップに上り詰める。失ったはずの高揚感。充実した毎日に満たされる。が、そううまくはいかないのが人生らしい。いきつくところはみな同じなのだ。

 

人生なんて、先々を前もって考えて手を打っても、その通りにはいかないものだって

 

男の妻がこうつぶやく。

 

僕は老後のためにと金をためたことはない。無駄な出費は抑えたいと思い、家計の見直しを何度か行ってきたが、それとて金をためようという思いから行ったことではない。無駄がいやなだけだ。なんとなくで消えていくお金のために働いているわけではない。

 

老後のことを考えているとすればただひとつ。自身の健康だ。誰にも迷惑をかけず、自分の足で歩き、普通に暮らしたい。病気ひとつせずなんて考えちゃいないけど、せめて寝たきりなんてことは避けたい。

 

全くなにも考えないのもどうかと思うけど、考えすぎて今を我慢するのもバカらしいと思う。今は今で楽しまなきゃ。僕はなにかを我慢するということはあまりなくなった。もっと以前には「我慢させられていた」ことは多くあったけど。

 

「終わった人」はあくまでもひとりの男の物語。いろんな分岐点があって最終的にこうなったという話。正解などない。自分で選択した今が答えなのだ。最終的にと書いたが、男の毎日はまだ続く。65歳を超えていようが、その先は未来だ。老いぼれたってしかたがない。