ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

僕はこのブログで僕をコントロールしている

ブログ

僕にとってのブログの役割。それは自分の軌道修正ツール。モノを減らしていけば最終的には我が身ひとつになるのだから大切なのはやはり己。自分自身の誰かを大切に思うこともあるけれど、いくら思ったところで他人はコントロールできない。僕はこのブログで僕をコントロールしている。

 

「いい考え方だな」と他人に影響されることがある。すぐさまそれを自分に反映できればいいのだけれど、今までの自分のほうが圧倒的に強いから、それを吸収するのは困難。だったら忘れないようにこのブログに書き留めておこうか。

 

同じような内容の記事を書くことはよくある。何度も何度も書く。そうして少しずつ自分を修正している。何度も何度も繰り返さないと自分のものにできない。練習だよね。

 

 

自分でいうのもあれだけど、少しずついい感じになっていると思う。例えば、他人の考えを否定しないということ。「それは間違っている」「ああ、すべきだ」「こう、すべきだ」なんていうのは全て僕基準の考え方であって、僕自身が正しいことが前提の意見。僕が正しい?どうして?なにを根拠に?

 

夢を否定することも避けたい。あなたには未来がある。それは僕にもある。「ああ、なりたい」「こういう生活をしたい」と夢を語ってる人間を否定する権利が誰にあるのか。それを否定したところでどうだというのだ。「もっと現実的に考えなさい」僕の現実?悪くもないが輝かしくもない現実。それが正しい?もっと輝く努力をしたらどうだ。ありきたりな毎日を否定されたくないから、他人の夢を否定しているのだろう?

 

僕の目。僕は「冷たい目をしている」といわれることがよくある。自分としてはそんなつもりはなかった。だけども、ある日、冷たい目をした他人にであった。「ああ、これか」と。それ以来、僕は気をつけている。気をぬくと感情のこもっていない人形のような目になるのだ。人の目ではなくなる。あの目は僕もきらいだ。

 

では、どうしているかというと、ほんの少しほほの筋肉をあげる。すると少し笑顔になる。これは意識をしていないとできなことだ。僕の中にはそれがないから正直疲れる。でもそこに近づくためには努力が必要。それが僕のデフォルトになれば疲れることもなくなるだろう。やり過ぎるといけない。かえって不自然になる。それもまた人ではない。笑顔をたやさないだけの人形。